震災34日目(4/13) 釜石市スーパー堤防

津波と防潮堤

防潮堤は、本当に効果があるのか?

1200億円かけたにもかかわらず、
釜石市の防潮堤はあまり効果なかった。
しかし、
震災後は1兆円かけて400kmにも及ぶ
巨大防潮堤の建設が進んでいる。

その陰には普代村の和村村長という
防潮堤建設に多大な影響を与えた人物がいる。

釜石市スーパー堤防w

1978年 建設開始
2008年 完成(総工費1200億円)
2010年 世界最大(ギネスブック)
2011年 津波で崩壊

スーパー堤防は津波で無残に破壊され、
北側の80%、南側の50%は水没した。

高台に移住させるべきであった

津波の襲来が6分遅れ、
波高は13m⇒7~9mに低減。
1分200億円。1m300億円。
要するに、中途半端な効果しかなかった。

政府は必死に弁明した。
 「津波を防げなかったが逃げる時間を稼いだ」
津波を跳ね返すのが目的だったのに、
いつの間にか時間がどうのこうのと
論点がズレてしまっている。

人口数千人しかいないのに1200億円……
異常な公共事業としか思えない。
さらに、もう防波堤が壊れてしまったので
同じ低地には住めない。
1200億円が無駄になってしまった。

万里の長城

凱旋門・ピラミッドと並んで
世界三大無用の長物の1つ。
震災後には600ヶ所に総事業費1兆円をかけて
万里の長城のようなものを築く。

岩手~宮城には総延長400km高さ15mの
巨大防潮堤を建設中だ。
距離は東京~大阪、高さは5階建ビルに匹敵する。

コンクリートの寿命は50年。
50年後にはまた400kmの防潮堤を建て直し。
ピンポイントに建設しないと
税金の無駄ではなかろうか?

住民向け説明会にて。
住民「先に高台に住む場所を確保してほしい」
 市「高さが決まらないと都市計画が進みません」
住民「なんで15mなの?」
 市「県が設定したからです」
 県「国の方針です」
おいおいw

そんなグダグダの状況なので
万里の長城を「選んだ町と拒んだ町」が
できてしまった。

防潮堤を選んだ町

気仙沼市は長さ40kmの
巨大防潮堤の建設を選んだ。
住民や漁業関係者は反対、
商業や産業の関係者はおおむね賛成
という流れであった。

なぜ気仙沼で万里の長城が建設?

そもそもなぜ、万里の長城建設が始まったのか?
現在は住民の80%が反対しているのに、だ。

当初は過半数の住民が賛成していたからだ。
それで建設が始まってしまった。

ところが現物を見てそれが間違いだと気づいた。
浜の前で要塞のような壁ができ、
町から海が見えなくなってしまった。
美しい海岸がコンクリートの壁になった。
当然、観光客が来なくなった。

ではなぜ万里の長城建設を止められないのか?
それは一度決まったことだから
ゼネコンはウハウハ、役人とズブズブ。
今さら中止は、契約の問題もある。
一度始まった公共事業は、もう止められない。

津波が来ても陸から見えなくなる。
かえって避難が遅れるのでは……
そして、80%が反対派に回った。
時すでに遅し。

防潮堤を拒んだ町

人口の10%を失ったにもかかわらず、
原発が安全であったため脚光を浴びた女川町。
防潮堤を作らずに、町全体をかさ上げする。

では、防潮堤はまったく効果がないのか?
ピンポイントでは極めて有効である。

普代村

かつて和村村長という男がいた。
高さ15mという東北随一の防潮堤と水門を
反対を押し切って強引に建設した。

強引に建設

建設当時は批判や反対を受けながらも
1mたりとも低くすることを拒んだ。
「税金の無駄だ」「他のことに使え」
「ここまでの高さは必要ない」
それでも県に懇願を続け、
最後には独断で建設を決定。

置き土産

和村は村長退任時に語った。
 「最後には理解してもらえる置き土産です」
その置き土産は彼の死から14年後、
世界中から脚光を浴びることになる。

そして、3.11

東日本大震災の大津波は普代村を襲った。
漁船を飲み込み巨大防潮堤に激突して5m越えてきた。
……が、威力を失い引いていった。
おかげで被害を受けた者はいなかった。

一方、近隣にある宮古市の防潮堤は高さ10m。
元祖・万里の長城と呼ばれていたそれを、
津波は軽々と越え、数百人の死傷者を出した。

普代村の被害

1896年 明治三陸地震の津波で死傷者1000人以上
1933年 昭和三陸地震の津波で死傷者600人以上
2011年 東日本大震災の津波で死傷者0人

今では反対派だった人も堤防に手を合わせたり、
和村村長に線香をあげているとのこと。

神社仏閣の警告

不思議なことに、
神社仏閣の手前が津波の到達点ギリギリであった。
いや、当然の結果である。

1000年以上かけて神社は流されるごとに
高台に移転してきた歴史がある。
周辺の至る所に津波到達点の石碑もある。
石碑の数は宮城県だけでも200以上ある。

400年前の「慶長の大津波」で
先人が神社や石碑の位置で教えてくれていた。
これより下に住んではならない
にもかかわらず、
現代には、それよりも低地に町が広がっていた

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
現代人は、愚かだ。

震災編
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