ベルサイユ条約でドイツを追い詰めすぎ、
ブチ切れたナチスドイツが暴走した。
死者数はソ連2000、ドイツ700、ポーランド600、
日本は310万人である。
第一次世界大戦に続き、
またもイタリアはヘタレだった……
ヒトラーの躍進やドイツ軍の電撃戦など、
ドイツに始まり、ドイツに終わる戦争であった。
- 1929年 世界恐慌
- 1933年 1月にナチスが政権を獲得
同年 3月に日本が国際連盟を脱退
同年 10月にドイツが国際連盟を脱退 - 1934年 ヒトラーがナチス総統に
- 1936年 ベルリンオリンピック
ナチスドイツが政治利用に大成功した - 1937年 日中戦争
- 1938年 ドイツがオーストリア併合
- 1939年 独ソ不可侵条約
ドイツは東方の憂いがなくなった
同年 第二次世界大戦 開戦
ドイツがポーランド侵攻して開戦 - 1940年 日独伊三国同盟
イタリアはまた役に立たなかった…… - 1941年 太平洋戦争
同年 ホロコースト開始 - 1943年 イタリア降伏
なんなのこの国…… - 1945年 終戦
2月 ヤルタ会談
4月 ヒトラー自殺
5月 ドイツが無条件降伏
8月 日本が無条件降伏

世界恐慌まで

イギリス・フランスは第一次世界大戦の戦勝国だが、
アメリカから莫大な借金をして戦争をしていた。
英仏の借金はドイツの賠償金だけではまかなえず、
ドイツは賠償金で首が回らない。
ヨーロッパ全体にカネが無い状態である。
アメリカはボロ儲け

第一次世界大戦で大量に輸出し、
莫大な額を貸した。
空前の好景気が、空前の投資ブームを起こした。
完全にアメリカ頼み

英仏はドイツの賠償金でアメリカの借金を返す。
そのドイツだってアメリカから借金して
イギリス・フランスに賠償金を払っている。
アメリカが貸したカネを、
アメリカから借金して返して世界経済が回る。
アメリカが札束をバラ撒いて、
利息が上乗せされてアメリカに返ってくる。
まさにカネの無限増殖……
こんな矛盾がいつまでも続くワケがない。
世界恐慌

アメリカはヨーロッパの不幸を喰い物にして
空前の好景気で調子ノリ助に変貌。
ところが過剰生産で株価が大暴落すると、
パニック売りが殺到して株が大暴落し、
数多くの会社が倒産した。

アメリカとの貿易が打ち切られ、
ヨーロッパにも恐慌が波及した。
英仏とドイツ

植民地が豊富な英仏と、
植民地を取り上げられたドイツで運命が別れる。
ドイツはベルサイユ条約で経済が崩壊したところを
世界恐慌でトドメを刺された。
英仏としては「生かさず殺さず」で
ドイツから何十年も絞り続ける予定だったが、
ドイツ経済は死んでしまった……
恐慌後の世界

ヨーロッパ・ソヴィエト連邦・アジア・南北アメリカ……
世界恐慌で世界経済が崩壊した時期は、
世界は4つの勢力圏に分かれていた。
植民地が豊富だった組と
そうでない組「日独伊」に分かれた。
持ちこたえた組
- 英仏 豊富な植民地
- アメリカ まだ余力があった
- ソ連 資本主義じゃなかった
イギリス・フランス

英仏には世界中に植民地(オレンジ部分)があり、
この2国はブロック経済で凌いだ。
経済的鎖国し、自国だけに有利な貿易をさせた。
アメリカ

世界恐慌での大ダメージはあったものの、
まだまだ経済的な体力がある。
公共事業でのバラ撒き(ニューディール政策)で
強引に失業率を改善した。
南北アメリカ大陸のリーダー的存在であり、
植民地のようなものであった。
ヨーロッパ市場がポシャッても、
まだまだ市場は残されていた。
ソヴィエト連邦

世界恐慌は株価が大暴落したことにより、
資本主義の経済システムが破綻しただけである。
ソ連は世界初の社会主義連邦国家であり、
株価の大暴落など他人事である。
「みんなで働き、みんなで分け合う」
社会主義であったソ連はノーダメージだった。
というかむしろ、
世界恐慌で資本主義圏がポシャッたので、
一気に世界のトップクラスに躍り出た。
日独伊

植民地に乏しかった列強国には、
「ドイツ・イタリア・日本」があった。
深刻な不景気を脱するには、
領土拡大政策を断行して植民地を得るしかない。
ところが世界は第一次世界大戦に懲りていた。
その原因は、植民地獲得による領土拡大である。
この三国はまた拡大政策を続けてしまい、
国際社会から孤立していった……
ドイツ

ドイツはアメリカが支援していた。
というのは、ドイツにポシャられると
英仏の借金までも貸し倒れになってしまう。
ドイツを支援して英仏にきちんと賠償金を払わせ、
英仏がアメリカにきちんと借金を返すようにした。
ところが世界恐慌でドイツ支援どころでなくなり、
ドイツ経済が壊滅してしまった……
ヒトラー

ヒトラーには「3つの野望」があった。
- 強いドイツを復活させる
- 領土拡大で資源を確保する
- ロシア共産主義を滅亡させる

屈辱的なベルサイユ条約をシカトして「大」躍進。
政治ではドイツ財政を世界第2位にまで立て直し、
軍では電撃作戦で世界を圧巻した。
しかしイギリスに苦戦してソ連に手を出し
返り討ちにあって戦況が悪化して敗戦となる。
ムッソリーニ処刑の2日後に自殺。
イタリア

第一次世界大戦の戦勝国ではあるが、
最初は様子見で勝ち馬に乗っただけ……
ヘタレ扱いで領土も賠償金すらもらえず。
調子に乗ってアフリカで植民地を拡大しようとし、
国際社会で孤立化した。
ムッソリーニ

ファシスト(結束)して強い国を作ろう!
貿易や投資よりも自国の開発を重視したので
世界恐慌の影響を受けず、絶大な支持を得る。
本人の意思と無関係に神格化されていき、
戦況と体調の悪化でドイツの操り人形になる。
戦況の悪化でスイスに逃れようとするも、
レジスタンスに捕らえられて処刑され、
死体は逆さ吊りで晒された。
日本

満州と朝鮮だけでは、米露に対抗できない。
そこで中国や東南アジアまで領土拡大を目論み、
国際社会から孤立化した。
近衛文麿

ファシズム宣言
「国民は国家のためにある」
貴族の血をひき、45歳という若さで
政党や大企業の汚職ナシ……国民に大人気だった。
アメリカ・イギリスに対抗する考えだだったので
軍部にも人気があった。
しかしその実態は、右派へ左派へヒヨり、
些細な争いを日中全面戦争に発展させてしまう。
アメリカとの衝突が決定的になると、
東条英機に責任を押し付けて失脚し、敗戦後自殺。
史上まれに見る無能政治家であった……
開戦
- 1939年 独ソ不可侵条約
同年 第二次世界大戦 - 1940年 日独伊三国同盟
なぜドイツを放置した?

ナチスドイツはベルサイユ条約をシカトし、
軍備を増強しまくっていたものの、
イギリス・フランスはそれを黙認していた。
なぜか?
ドイツが東ヨーロッパで勢力拡大するのは、
ソヴィエト連邦への牽制になるからである。
ドイツがある程度勢力拡大し、
ソ連と戦争すれば両方が弱体化してウハウハ。
しかし、ナチスは予想外に暴走し始める……
独ソ不可侵条約

「ヒトラーの奇跡」により驚異的な経済復活を遂げ、
オーストリア・チェコを無血で制圧すると……
ベルサイユ条約で奪われた領土を取り戻しにかかった。
ナチスがソ連と手を組んじゃった、のである。
東方の憂いが無くなると、すぐに行動に出た。
ドイツのポーランド侵攻

まずは自由都市「ダンツィヒ」を……
ということで、ポーランドに攻め込んだ。
イギリス・フランスもさすがに放置できなくなり、
ドイツに宣戦布告⇒第二次世界大戦が開戦となる。
電撃戦
ドイツとしては、
モタモタしていると英仏が支援に出てきて
挟み撃ちにされてしまう……
ポーランドは一ヶ月でどげんかせんといかん。
時速4⇒40km

今までは「歩兵+戦車」で進軍が遅かった。
歩兵に合わせるので時速4kmしか進めない。

そこで先に戦車に突撃させて突破口を作り、
自動車に乗せた兵士を一気に送り込んだ。
戦車のスピードで進めるので時速40kmで進める。
ポーランドはドイツ軍のケタ違いの進軍の速さに
まったく手も足も出ず、ボコボコにされた。
ドイツ快進撃

電撃戦でポーランドを一ヶ月で降伏させると、
ソッコーでフランスに攻め込んだ。
要塞が手薄な森林地帯(アルデンヌ地方)の森を
戦車でなぎ倒して一気にパリまで攻め込んだ。
電撃戦の前にまったく歯が立たず、
イギリス軍は本国に撤退、フランスは降伏した。
ドイツの快進撃を知った日本は
勝ち馬に乗ろうとしてドイツと手を組んでしまい、
太平洋戦争に突入してしまうことになる。
戦局が悪化
この頃、ドイツはホロコーストでユダヤ人虐殺、
日本は日本兵を虫ケラ扱いで突撃・餓死など
日本もドイツもムチャクチャだった……
イギリスに苦戦したドイツは、
ターゲットをソ連に変えて攻め込み失敗する。
これが「終わりの始まり」となる。
イギリスに苦戦

イギリスは海で隔てられている。
つまり、戦車を使った電撃戦が使えない……
航空決戦ではイギリス軍が優位だったので、
まったく攻め落とせなかった。
ターゲット変更

「ソ連を落とせば石油が手に入る!」
「イギリスもビビッて降参するだろうw」
そこで電撃戦を使えるソ連にターゲットを変えた。
ドイツ軍はイギリス戦から撤退し、
独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込んだ。
しかしこれが、「終わりの始まり」だった……
連戦連勝だが……

得意の電撃戦で連戦連勝し、モスクワまで到達……
しかしソ連には「秘策」があった。
極寒の冬

女性まで徴兵して、死にもの狂いで冬まで耐えた。
ついに12月が来ると気温は-20℃にまで低下。
戦車や武器が凍って動かなくなると、
寒さに強いソ連軍と立場が逆転し、撤退した。
あの国は冬までひたすら耐える戦法で、
大昔から生き残ってきた国なのである。
返り討ち

春になって再び攻め込むと……
電撃戦は対策されていた。
コンクリートの壁や巨大な堀で戦車が進めず、
さらに対戦車砲を配置し、電撃戦を封じられた。
また冬まで粘られて退却するハメになってしまった。
これを3回繰り返したが、ダメだった……
ナチスの滅亡

- 1943年 イタリア降伏
- 1944年 ノルマンディー上陸作戦
イタリアが降伏して南も敵勢力になると、
西はアメリカが参戦、東はソ連が反撃してきて、
周りがすべて敵だらけになってしまった……
イタリアが降伏

拡大政策の失敗でムッソリーニが失脚。
イタリア新政権が英米に降伏したので
南側が敵勢力圏になってしまった。
アメリカ参戦

世界恐慌の失業率改善のため、
兵士を募集してイギリスに派遣していた。
英米軍がフランスに援軍を出してくるので、
西にも軍を配置しなくてはいけなくなった。
ソ連が縦深戦術で反撃

ドイツが劣勢となると、ソ連が反撃に出てきた。
ソ連はドイツの電撃戦をさらに改良。
まず大砲で防衛戦を破壊し、
残りを航空機で爆撃し、その後電撃戦を行う。
この新戦術でドイツをソ連領土から撃退した。
ノルマンディー上陸作戦

史上最大の上陸作戦により、パリが解放されると、
ドイツ国内での本土決戦が避けられなくなった。
パリ解放

ここで英米軍がフランスに上陸。
米英による圧倒的な物量作戦に対し、
ドイツ軍は実践経験豊富であり激戦となる。

さすがのドイツも挟み撃ちには勝てなかった。
西から米英、東からソ連が進行すると
ドイツが破れパリは開放された。
終戦
- 1945年
2月 ヤルタ会談
米英ソ首脳がドイツの戦後処理を会談
3月 米英軍がライン川に到達
4月 ヒトラーが自殺
ソ連軍がベルリンに到達
5月 ドイツが無条件降伏
8月 日本が無条件降伏
ヤルタ会談

イタリアが降伏し、ドイツ降伏も間近になり、
ドイツ分割統治やポーランドの処理を話し合った。
ヒトラー自殺

米英軍がライン川にまで到達すると、
ヒトラーが自殺し、ドイツ降伏となった。
その後、アメリカとソ連が二大勢力となり、
世界は資本主義圏と社会主義圏で対立する。
「戦争しない・和解もしない」という
冷戦状態になっていった……
死者8500万人

上位4ヵ国だけで半数近くが死亡している。
その他はフランス(60万)、中華民国(50万)
イギリス(40万)、イタリア(40万)
アメリカ(30万)である。
民間人など含め当時の世界人口25億人の
「3%」にあたる人間が死亡した。
日本は軍人230万(うち60%の140万人が餓死)、
その他80万人の計310万人が死亡した。
当時の日本の人口7200万人の4.3%にあたる。
まとめ
- ドイツが引き起こしたヨーロッパ戦線
- 日本が引き起こした太平洋戦争
主にこの2つを合わせて「第二次世界大戦」と呼ぶ。
ヒトラーはチェコ・オーストリア制圧あたりで
大人しくするなり、急死するなりしておけば、
「人類史上最高の政治家」と歴史に名を残せた。
ドイツ人が日本人を見るとよく言うのが、
「今度はイタ公抜きでやろうゼ!」
イタリアなる国は「裏切りの国」である。
第一次世界大戦では、どの国にも宣戦布告せず
ドイツ・オーストリアとの三国同盟を裏切り、
三国協商側に寝返って戦勝国になった。
第二次世界大戦(日独伊三国同盟)では、
ほとんど戦闘に参加せずドイツの足を引っ張った。
(死者数を見れば明白である)
さらに終戦一ヶ月前に日本に宣戦布告して
「イタリアは戦勝国だ」と言い張った。
(連合国に相手にされなかったが)
ゆえに、イタリアは「欧州の朝鮮」と呼ばれる。