日中戦争は3つに分けることができる。
(①満州事変期②全面対決期③太平洋戦争期)
戦後・震災・金融恐慌のトリプルパンチを喰らい、
世界恐慌でトドメを刺され、
もはや中国を侵略するしかなくなってしまった。
そこに中国のテロや抵抗が起こり陸軍が暴走する。
中国の徹底抗戦と時間稼ぎでドロ沼化し、
15年もかかってしまった……しかも、負けた。
- 1912年 清⇒中華民国
清が滅亡して中華民国に - 1918年 第一次世界大戦 終結
ドイツが降伏して日本が戦勝国に - 1920年 国際連盟が設立
日本が常任理事国に - 1921年 軍縮会議
同年 原敬の暗殺 - 1923年 関東大震災
戦後恐慌があり、泣きっ面に蜂 - 1928年 チョウ・サクリン爆殺事件
邪魔になったので始末した - 1929年 世界恐慌
アメリカ頼みの世界経済が崩壊 - 1930年 ロンドン海軍軍縮会議
恐慌で戦争にカネを使えなくなったため - 1931年 柳条湖事件 満州事変開始
日本軍の自作自演を戦争の大義名分に - 1932年 満州国 建国宣言
同年 五・一五事件などテロ多数
同年 リットン調査団
自作自演がバレた - 1933年 国際連盟を脱退
バレて逆ギレしちゃった - 1936年 二・二六事件
クーデター失敗も結局は軍事政権が誕生した - 1937年 盧溝橋・通州・南京事件
日中戦争が開戦 - 1938年 国家総動員法
政府が「直接」軍を動かせるようになった - 1939年 第二次世界大戦 開戦
WW1後の扱いでドイツがブチ切れたため - 1940年 日独伊三国同盟
全体主義で孤立している同士 - 1941年 太平洋戦争 開戦
日中戦争が発展し日米戦争を併行 - 1945年 第二次世界大戦 終戦
第一次世界大戦後の世界
アジアにはまだ支配者が確定しておらず、
大日本帝国はそこで覇権を取ろうとして暴走した。
世界は4つのブロックに
第一次世界大戦後 世界は4つに分かれた。
英仏のヨーロッパ、ロシアのユーラシア、
アメリカの南北アメリカ大陸……
そして、支配者のいないアジアである。
日本がアジアを狙った
まだ支配者が確定していない「アジア」で
日本は支配者となるべく領土拡大路線をとる。
欧米はヨーロッパ戦線に集中しており、
アジアどころではなかったからだ。
資源をもたない日本は、石油などの
豊富な資源を求めて大陸進出を強化し、
南満州から満州全域への占領を目論んだ。
日清戦争・日露戦争で獲得した朝鮮半島を
足がかりに中国大陸に進出した。
鉄道が特に重要
それまでは人や馬で運んでいたが、
天候にも季節にも左右されない。
南満州鉄道は経済的・軍事的に「超」重要である。
満州とは?
満州の資源や農作物を格安で輸入し、
日本製品をボッタくり価格で売りつける場所。
つまり、経済的に非常に重要である。
関東軍はその鉄道を現地人の襲撃や中国軍から
守るのがメインの任務である。
第一次世界大戦が終結
東北の新聞記者出身の平民宰相「原敬」
教育・インフラ・貿易・軍隊の4本柱を
税金で拡大した。
戦争でボロ儲けしたカネが世間に回り、
空前の好景気を迎える。
そして第一次世界大戦は三国協商が勝利し、
日本は戦勝国となる。
ここで結ばれたベルサイユ条約では、
- ドイツが持っていた中国利権
- 太平洋諸島の統治権
が手に入った。
国際連盟が設立
第一次世界大戦を起こしてしまった反省から、
二度と世界大戦を起こさない目的で発足した。
日本は戦勝国として常任理事国入りした。
しかし肝心のドイツ・ソ連・アメリカは
発足時に不参加だった。
しかも、途中参加のドイツはブチ切れ、
日本もイタリアも途中で脱退……
始めから失敗する運命だったといえる。
トリプルパンチ
絶好調だった経済に陰りが見え始める……
「戦後恐慌+震災恐慌+金融恐慌」の
トリプルパンチが日本に襲い掛かってきた。
戦後恐慌
第一次世界大戦終了から年月がたち、
ヨーロッパの生産が回復してきた。
そうなると、
日本とアメリカの製品が売れなくなり、
一気に「戦後恐慌」に突入する。
このときトンでもない事件が!
不況を恨んだ者に原敬が東京駅で殺害された。
震災恐慌
このあと首相が何度か入れ替わり、
またトンでもない事態が!
関東大震災である。
10万人以上が死亡しパニックとなり
暴動やテロが続発する。
皇太子(のちの昭和天皇)が狙撃される
大事件まであった。
この混乱で震災恐慌が発生する。
金融恐慌
皆、自分の貯金だけは消えてほしくない……
無くなる前に自分だけは貯金を手元に置きたい。
それは一般市民も経営者も同じである。
皆が銀行に殺到し、現金が底を尽きた。
当然、全員分の現金などあるわけがなく、
銀行も次々に経営が破たんして金融恐慌となる。
経済政策
紙幣を刷りまくってなんとか凌いだが
円の価値が下がりすぎて欧米から
貿易してもらえなくなってしまった……
そこで、紙幣を捨てまくった。
金と交換できるように戻した
紙幣の量を制限して金と交換できるように戻し、
日本国内の貨幣流通を下げ、物価を下げた。
そうすれば波及して日本製品も値下がりして、
長期的には輸出が好調になる、との読みである。
この読みは見事に的中する……が、
ここでトドメの一撃が起こってしまう!
「世界恐慌」である。
世界恐慌
世界中でモノが売れなくなった。
日本の物価が下がるよりも、
世界の物価が下がってしまった……
せっかく好調になりかけていた輸出がストップ。
アメリカへの輸出も止まり、日本経済も壊滅した。
昭和恐慌
戦後恐慌+震災恐慌+金融恐慌+世界恐慌で
「昭和恐慌」となってしまう。
もはや、経済だけにとどまらず、
米が下落して農家が壊滅した。
もう中国しかない
もう、自国だけでは立ち直れない……
そこで、アジアに目を向けるが、
英仏蘭のブロック経済で市場から締め出される。
アジアで独立を保っていたのは、
日本・中国・タイのみ。
その3国以外では貿易できなかった。
なぜ拡大路線をとったのか?
なぜ日本は満州だけで満足できず、
中国本土まで勢力を拡大しようとしたのか?
第一次世界大戦から「総力戦」となったからだ。
総力戦とは、軍だけでなく国内の人間も生産で
バックアップし「国を上げて」の戦争になる。
朝鮮・満州だけでは欧米列強のような
総力戦ができない……
隣国のアメリカやソ連に対抗できない……
そこで中国に目をつけたのである。
15年戦争とは?
- 1912年 清⇒中華民国
- 1928年 チョウ・サクリン爆殺事件
- 1931年 柳条湖事件
- 1932年 満州国建国を宣言
- 1933年 国際連盟を脱退
- 1936年 二・二六事件
***********************************① - 1937年 通州事件・盧溝橋事件
- 1938年 国家総動員法
- 1939年 第二次世界大戦 開戦
***********************************② - 1941年 真珠湾攻撃
- 1945年 ポツダム宣言(終戦)
***********************************③
日中戦争の15年間を現した言葉である。
そのもっとも主な原因は、
日本が「中国本土まで領土拡大したこと」であり、
領土拡大や戦争が起こった原因は4つある。
- 度重なる日本の不景気
- 満州・朝鮮だけでは米露に対抗できない
- 陸軍が暴走した
- 中国が徹底抗戦した
①②③期
日中戦争は満州事変~終戦までを合わせて
「15年戦争」とし、3期に分けられる。
- ①満州事変期
- ②全面戦争期
- ③太平洋戦争期
①満州事変期
チョウ・サクリンの支援~国連脱退までが
満州事変期である。
この段階での日中戦争は、日本国民にとって
「遠い場所」の出来事であり、
日常生活への影響はなかった。
リットン調査団による満州事変の調査の結果、
自作自演がバレ、満州国が承認されず。
満州事変に関しては当然、全会一致で非難され、
日本は逆ギレを起こして国連を脱退してしまう。
そして、中国へ攻め込んだ。
②全面戦争期
盧溝橋事件~真珠湾攻撃あたりまでが
全面戦争期である。
二・二六事件ではクーデターそのものは
失敗に終わるものの、統制派が勢力拡大し、
かえって軍の勢力は拡大する結果となった。
すると、もはや軍を抑えきれなくなり、
国民も参加する「総力戦」へと一気に変貌する。
100万を超える兵、数十億にのぼる予算を投じ、
政治・経済が「戦争」を軸に動くようになる。
派兵や増税、国内の食糧・物資不足などで
国民負担が重くのしかかった。
③太平洋戦争期
真珠湾攻撃~ポツダム宣言が
太平洋戦争期である。
満州だけでなく中国北部まで勢力を拡大すると、
中国側が本気で抵抗するようになり、ドロ沼化。
ナチスドイツと手を組んだことで、
日中戦争をしながら日米戦争を行うことになる。
もはや、日本は国力の限界を大きく越えていた……
では、詳しくみていこう。
①満州事変期
- 1912年 清⇒中華民国
- 1928年 チョウ・サクリン爆殺事件
- 1931年 柳条湖事件
- 1932年 満州国建国を宣言
- 1933年 国際連盟を脱退
- 1936年 二・二六事件
中華民国は軍閥による内乱で分裂状態だったので
日本はそこにつけ込んだ。
日本寄りの軍閥を支援することで
「侵略でなく治安維持」の大義名分で
満州に日本軍や企業を大陸に進出させた。
チョウ・サクリン
満州の有力者だったチョウ・サクリンを支援して
奉天軍閥のトップに据え、満州を支配下にした。
もともと中国内は内乱だったのに、
日本まで加わってさらにカオスになった。
邪魔になった
奉天軍閥(兵15万)が中華民国政府の
ショウ・カイセキと接触、これに関東軍がキレた。
さらに、
日本の想定よりもチカラをつけてしまい、
他地域への侵略も開始してしまう。
このままでは日本の利権を脅かされてしまう……
ヤツをどげんかせんといかん。
チョウ・サクリン爆殺事件
関東軍は、邪魔者となったチョウ・サクリンを
列車ごと爆破して殺害した。
これは日本政府でも軍の上層部の指示でもなく、
関東軍の現場が独断で行った。
報道規制により、日本国民には知らされず。
チョウ・ガクリョウ
代わりに息子のチョウ・ガクリョウをトップに
据えるも、父を殺した日本に不信感を持ち、
中国国民党に寝返った。
このままでは満州の支配権が
中華民国に移ってしまう……
清と中華民国
満州での経済活動を認めたのは
あくまでも「清」であって、中華民国ではない。
その清は1912年に滅亡している……
そんな理屈で日本に出ていくように求めてきた。
清が中華民国になってから満州事変までの
20年間に、日本製品ボイコット運動や、
日本企業への襲撃・爆破などのテロをしまくった。
日本軍「満州をどげんかせんといかん!」
満州事変
日本にとっての植民地は南満州である。
日清戦争・日露戦争を死にもの狂いで手に入れ、
「絶対に」手放すことのできない場所である。
しかし……日本が恐慌で大混乱した隙に、
中国が満州に進出してきた。
軍が暴走
日本政府が対話で解決しようとするも、
日本陸軍が「軟弱外交」と猛反発した。
関東軍が植民地支配の重要性を強調すれば、
国民もそれに乗る……
そこで日本軍は、
南満州から中国全土を狙うようになった。
日本が問題児に
第一次世界大戦で世界中が反戦ムードである。
帝国主義の勢力拡大がぶつかった戦争なので、
勢力拡大を企てる国に世界が神経質になっている。
第一次世界大戦も「サラエボ事件」という
些細なキッカケから世界戦争に発展してしまった。
日本が原因でまた世界大戦に発展しかねない。
そこで勢力拡大の争いを繰り返す日本が
欧米で問題視されはじめた。
関東軍はソレを把握していたはずだが……
シカトして「思いっきり」暴走した。
柳条湖事件
柳条湖の近くで南満州鉄道を自分たちで爆破し、
チョウ・ガクリョウがやったことにした。
それを大義名分にして中国に攻め込む。
彼はほとんど抵抗できず、
関東軍は一気に満州全域を占領した。
この宣戦布告なしの軍事衝突を
「満州事変」と呼ぶ。
どう考えても日本がおかしいのに、
国民も満州利権を守る軍を応援した。
日本軍が狂犬化
関東軍
「満州事変は自衛のためである」
「中国から満州を独立させ、属国とすべき」
「アメリカとの最終戦争に備える」
陸軍が暴走しワケのわからないことも言い出す。
すでに植民地争奪戦は時代遅れ……
欧米は第一次世界大戦で懲りていたのである。
政府をシカト
政府の不拡大方針を無視して次々に爆破、戦線拡大。
もはや軍を統制できなくなり、総辞職した。
この戦線拡大に日本国民は熱狂しており、
この頃から日本全体がおかしくなっていく……
満州国の建国
満州は日本の勢力拡大の生命線である。
「南満州鉄道に競合する鉄道」は
経済的にも軍事的にも絶対に容認できない。
関東軍がキレた
当然、清は作らないように約束していたが、
中国国民党は清と日本の約束は知ったことでなく、
南満州鉄道の競合鉄道を建設しちゃった……
関東軍
「清の支配下で日本の経済支配は中途半端」
「満州を切り離して日本領とすべき」
海軍もキレた
さらに、ロンドン海軍軍縮会議にて、
政府が海軍の承認を得ずに海軍軍縮に調印した。
日露戦争でバルチック艦隊を全滅させ、
大勝利を誇りにしていた海軍が激怒した。
軍がイケイケに
軍は日清戦争・日露戦争の大勝利、
そして第一次世界大戦での後継機は
紛れもなく軍のチカラである。
どんどん他国を制圧して領土を拡大したい。
(というか、どんどん戦果を上げたい)
情報操作で国民もそれを支持していたので
軍が暴走をし始める。
政府は慎重
政府「戦争はカネがかかり過ぎる……」
話し合いや交渉で他国と協調したい。
しかし世界恐慌の影響で小売りの3割が廃業、
農村部は若い娘を売りに出す、など
困窮を極めており、満州こそ希望の星だった。
軍
「日本国民は政府は軟弱」
「領土拡大で世界恐慌からの景気回復すべき」
軍が建国宣言
満州では関東軍が独断で満州全域を占領。
清王朝最後の皇帝「フギ」をトップに据えて、
政府を無視して満州国の建国を宣言させた。
しかし……
政府は承認せず
満州を日本の属国ではなく、中華民国の一部のまま
日本の経済圏にする方針だった。
中国への恐慌派と穏健派で政権が交代しまくり、
選挙という制度が政策ではなく、
選挙に勝つのが目的になってしまった。
(今もそうだが)
これで汚職や賄賂が多発すると……
「腐った政府は軍で叩き直す!」と
過激派が台頭してきた。
テロの年(1932)
政府の不拡大方針を無視して
軍事行動を拡大すると、国民が支持した。
他国の侵略で国を豊かに……何かがおかしい。
しかし過激派の意見は極端であるいっぽう、
スジが通っており、国民やマスコミが賛同した。
そして、日本全体が過激になっていく……
血盟団事件
政治家と財閥が私利私欲に没頭しており、
国民生活は貧しくなり、特権階級ばかり潤った。
そこで「一人一殺」を掲げ、
政府要人や経済界の大物を狙った暗殺集団が
右翼の青年たちから発生した。
大物を暗殺……この流れは軍に移行し
のちの5・15事件や2・25事件に続いていく。
5・15事件
日本政府の犬養毅首相は領土拡大を制限し、
満州国の承認をためらった。
「もう政治は軍が支配すべき」
海軍軍人が犬養首相を暗殺すると、
国民はそれを称賛した。
日本が孤立化
海軍出身の首相「斎藤実(226事件で死亡)」は、
満州国を建国を承認して中国と切り離すと、
翌年に国連を脱退……日本が世界から孤立した。
それに国民は大歓喜……もう、国全体がおかしい。
国際連盟を脱退
満州での横暴を受け、中国が国際連盟に提訴。
リットン調査団が来て自作自演がバレると、
日本は逆ギレを起こし、国際社会で孤立する。
リットン調査団
中国の提訴を受け、リットン調査団が来た。
第一次世界大戦で懲りた欧米が下したのは、
- 領土拡大は容認できない
- 柳条湖事件は自作自演である
- 侵略行為であり、満州は国と認めない
- 日本軍は満州からただちに撤兵すること
権利だけは容認
第一次世界大戦で戦争そのものに懲りていたのと、
ソ連の南下・拡大を警戒していた。
そこで満州における日本の権利は容認するなど、
かなり「日本に配慮した」決定だった。
日本軍が満州にいると社会主義圏への牽制となり、
欧米にとっても都合が良かった。
ソ連よりは日本のほうがマシ、という認識である。
国際連盟を脱退
ところが、この決定に日本政府も軍も怒り狂った。
- 満州建国が侵略とされた
- 満州建国が否認された
満州国の建国を宣言し、国連を脱退してしまう。
そして、狂犬と化した日本は中国に攻め込んだ。
国内の世論も、それを支持した。
二・二六事件
軍には2つの派閥があり、
「軍事政権の樹立」を目指した点は共通する。
- 統制派……外国との戦い重視
- 皇道派……国内の改造重視
昭和恐慌により貧困や失業に苦しむなか、
汚職が蔓延して財閥だけが肥えたので、
国民は政府に失望し、軍に期待した。
そこで「政府をどげんかせんといかん」
皇道派の青年将校ら1500名が「昭和維新」を掲げ、
重臣4名らを殺すクーデターを起こした。
(斎藤実・高橋是清などが暗殺された)
軍が拡大するきっかけに
「天皇のために」とやったものの、
その天皇が家臣を殺され激怒し本末転倒になり、
皇道派のクーデターは失敗した。
しかしこの事件がきっかけとなり、
政府が軍に逆らえなくなり、
軍関係者だけで構成される政権が誕生する。
意図せざる形だが、「軍事政権樹立」という
皇道派の目的は、統制派によって達成された。
②全面戦争期
- 1937年 通州事件・盧溝橋事件・南京事件
- 1938年 国家総動員法
- 1939年 第二次世界大戦 開戦
アメリカもずっと中国市場を狙っていた。
満州鉄道の日米共同経営を断られ、
利益を独占しようとする日本が邪魔で仕方ない。
アメリカが武器弾薬や兵器、食料などの物資輸出で
中国を支援すると、日本は予想以上に苦戦した。
中国側にはいくらでも撤退するルートがある。
広大な領土を攻めきれず、ドロ沼化する。
盧溝橋事件
日中戦争の発端となった事件である。
北京近郊の盧溝橋にて日本軍の演習中に
実弾を撃ちこまれ、日本兵1名が行方不明となる。
これをきっかけに日中両軍が衝突した。
通州事件
日本軍の主力が離れていた際に計画的に行われた。
居留民保護と称し、城内に集合させ門を閉めた、
在留日本人数百名に、中国兵数千が襲い掛かった。
- 家族を集めて首と両手を切断
- 手足を縛って数珠つなぎ強姦⇒斬首
- 女は生きたまま陰部に刃物を刺し込む
- 男は目玉をくりぬかれて銃で蜂の巣に
子どもは鼻に針金を通され、
妊婦は銃剣で腹を裂かれ胎児を出され、
老婆は腕を切り落とされ、路上には内臓が散乱し、
池には一家が数珠繋ぎで沈められ……
ナチス顔負けの暴虐の限りを尽くした。
中国からすれば、
「侵略戦争への報復」ということだろう。
陸軍が怒り狂った
もはや報復合戦である。
政府のさまざまな和平工作を無視して
大軍を投入して次々と軍事衝突を起こした。
しかし、軍縮を打ち出せば暗殺……の繰り返し。
もはや誰も文句を言えなくなっており、
政府も軍の暴走を止められなかった。
南京攻略戦
これまで清は内乱を恐れ少し負ければ降伏、
を繰り返してきた。
中華民国も同様に、首都「南京」さえ落とせば
短期決戦でカタがつく、と日本は甘く考えていた。
ところが、中国国民党のショウ・カイセキは
すでに南京から撤退しており、長期戦に備えた。
占領地の維持には膨大な兵力が必要であり、
日本の兵力では広大な中国全体を
維持することはできない、と読まれていた。
中国大陸は広い。
いくらでも撤退する場所があり、
いくらでも時間を稼いで粘れる。
南京事件
5ヶ月かけて首都「南京」を陥落させ、
2ヶ月に渡って現地の兵や市民に対し、
暴行、虐殺、強姦、略奪、放火したとされる事件。
通州事件の報復……かどうかは不明だが、
こちらでも悲劇が起こってしまった。
中国側は「30万人虐殺」と主張し、
合成写真などが国際社会に広まっている。
日本側からは数万とも20万とも主張があり、
犠牲者数は不明である。
ドロ沼化
日本は軍事・外交で抜け出せなくなった。
中国軍は黄河を決壊させて洪水を起こせば、
日本軍は毒ガスを使用した。
持久戦へ
- 日本は兵が少ない
- 日本は物資が不足しがち
- 日本は国際社会で孤立している
日本軍は強いものの、弱みがあった。
- 中国は兵が多い
- 中国は広く、いくらでも撤退できる
- 中国は米英の物資援助を受けられる
中国軍は弱いものの、強みがあった。
短期決戦では日本が、長期戦では中国有利だった。
中国は負けない戦いに徹した
中国は米英の支援を受けつつゲリラ戦を続ける。
広大な大陸にはいくらでも撤退するエリアがあり、
日本は面で占領できず、点と線の制圧に留まった。
長引けば長引くほど日本が不利になることは
中国側もわかっている。
日本軍は包囲しても殲滅しきれず、
長期化に歯止めが効かなかった。
国家総動員法
戦争には大量の物資や兵が必要であり、
国会を通さずに軍が「直接」動かせるようにした。
隣り組
「協力し合う(直訳:監視し合う)」ため、
10戸ごとにまとめられた。
この異常な風潮に少しでも反する言動には、
「非国民」のレッテルが貼られ、差別された。
総力戦となる
日中戦争がなかなか終わらないので、
いよいよ本格的に物資や食料が不足しはじめた。
物資が不足
そこで、
「欲しがりません勝つまでは」の標語とセットで
足りなくなった米や日用品が配給制となった。
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
この頃から軍だけでなく国民にまで
極度の精神論が蔓延し始める。
③太平洋戦争期
- 1939年
8月 独ソ不可侵条約
ドイツとソ連がお互いに攻めない約束
9月 第二次世界大戦 開戦
ドイツがフランス方面に集中できた - 1940年 日独伊三国同盟
国際社会で孤立した同士が手を組んだ - 1941年
6月 ドイツがソ連に攻め込む
ドイツがソ連を裏切った
11月 ハル・ノート
アメリカから日本へ最後通牒
12月 真珠湾攻撃
日本が卑怯な奇襲攻撃で開戦 - 1945年 ポツダム宣言(終戦)
中国でのムチャクチャな勢力拡大に対し、
米英が批判して停戦要求してきたが、日本は拒否。
日独伊三国同盟で米英との対立が決定的になる。
三国同盟で米英がキレた
連合軍の敵はあくまでもナチスドイツである。
米英「日本は中国を手放せないだろう……」
ここまでアメリカ・イギリスは日本の立場を
よく理解しており、それなりの配慮はしていた。
しかし、ドイツと組んでしまったので
日本を潰すしかなくなった。
ドイツ快進撃
フランスを制圧し、イギリスにも優勢。
イギリスが敗れればイギリス植民地が空白となり
日本の支配地にできる。
インドネシア周辺は石油が採れる。
そこはオランダの植民地だが、
ロンドンに臨時政府がありイギリスと連動する。
だから日本のモノにできる。
一石二鳥
アメリカ・イギリスを叩けば……
- 資源豊富なアジアが手中となる
- 米英支援がストップし日中戦争が終わる
こうして日本 vs アメリカ・イギリスという
無謀な太平洋戦争に進んでしまう。
最後通牒
アメリカが日本への石油禁輸を世界に呼びかけ、
日本は石油を輸入できなくなってしまった。
日本には1.5年分しか残っていない。
米英による経済制裁、度重なる交渉決裂の後、
最後通牒「ハル・ノート」を突き付けられ、
太平洋戦争へと突入していく。
物資の輸出だけでなく、イギリスは兵器を、
アメリカは指導者をも出すことで
中国を強力にバックアップした。
中国軍の徹底抗戦を崩せず、ドロ沼化し、
太平洋戦争と並行せざるを得なくなった。
1年以内の短期決戦でアメリカを叩き、
有利な状態にして講和する作戦に出たが、
考えが甘すぎた……
まとめ
アメリカやソ連に対抗するためには、
満州と朝鮮だけでは足りない。
そこで中国本土に手を伸ばしてしまった。
これが「終わりの始まり」だった……
自作自演がバレて逆切れを起こし、
国際連盟を脱退してしまう。
盧溝橋事件や通州事件、南京事件が起き、
報復合戦でどちらも後に引けなくなり、
陸軍の暴走に歯止めがかからない状態になる。
日本軍は中国軍の戦意を甘く見過ぎており、
想定外の徹底抗戦でドロ沼化した。
中国からすれば日本の勢力拡大が原因であり、
侵略戦争に対する自衛戦争という主張になる。
残念ながら、
近衛内閣の暴走、陸軍の暴走が事実であり、
「日本の失策」と言わざるを得ない。
満州と朝鮮の統治のみに集中し、
他は共同開発でアメリカ・イギリスを味方につけ、
大人しくしておくべきだった。
アメリカも呑気過ぎたんだよな。対日禁輸なんて行ってるのに草案からちょっとずつ擦り合わせて行きましょなんてことやってるし
駐日米国大使も努めたグルー氏は対日禁輸をやってる状態だと擦り合わせる時間は無い、最初から配慮した感じじゃないと駄目だ。この状況下でハル・ノートなんか出してたら戦争になるぞと警告してたし
でもアメリカは呑気なもんで資源や経済の多くを自国に頼ってる状態で戦争なんかしないし、ましてや今は交渉中で備蓄も考えたら擦り合わせる時間くらいあるだろとのんびりしてた。で、真珠湾に繋がったと