WW1は日本にとって、正直なところ
「他人事」「儲かった」のイメージしかない。
1914年からの4年3ヶ月間で7000万人以上が動員。
英仏側は940万、ドイツ側は710万人、
非戦闘員で700万人もの犠牲者を出した。
ゲルマン人とスラブ人の民族争いが、
主要国「すべて」を含む50ヶ国以上を巻き込み、
人類初の世界戦争にまで発展した。
戦闘機・毒ガスなどの大量殺戮兵器が登場。
戦闘員だけでなく一般人まで生活を犠牲にして、
国家に尽くす総力戦となり、戦争形態が激変した。
- 1870年 独仏戦争でドイツ帝国成立
フランスがリベンジに燃えるようになる - 1882年 ドイツ・オーストリア・イタリアで三国同盟
英仏との経済戦争に対抗する目的 - 1894年 ①露仏同盟
ドイツ経済圏に対抗するため - 1902年 日英同盟
イギリスがアジア植民地でロシアを警戒 - 1904年 ②英仏協商・日露戦争
ロシアが負けてアジア撤退 - 1907年 ③英露協商
イギリスがロシアを警戒不要となった
①+②+③=三国協商 - 1908年 オーストリアがボスニアを併合
ゲルマン系がスラブ系を制圧 - 1912年 第一次バルカン戦争
- 1913年 第二次バルカン戦争
【1914年 第一次世界大戦】 - 6/28 サラエボ事件
スラブ系がゲルマン系支配に反発 - 8/1 ドイツがロシアに宣戦布告
ゲルマン系がスラブ系に開戦 - 8/3 ドイツがフランスに宣戦布告
世界中に宣戦布告が飛び火 - 1918年 第一次世界大戦 終結
アメリカ参戦でドイツ敗退 - 1919年 ベルサイユ条約
フランスがドイツ懲罰にこだわった
ドイツ帝国 成立まで
産業革命はイギリスから始まった。
産業革命に成功した順に国力が一気に増強される。
ヨーロッパに数十年遅れたものの、
日本はアジアで最初に成功した。
五大国
19世紀はイギリスを筆頭として、
フランス・プロイセン・ロシア・オーストリアが
世界の中心だった。
この時期にイギリスが世界を支配していたから、
現代でも英語が世界語になっている。
スーツを着たり、サッカーを楽しんだりなど
イギリス起源の世界的な習慣は多数ある。
ドイツ・アメリカが台頭
- 1860年代 アメリカ南北戦争で統一
- 1870年代 独仏戦争⇒ドイツ帝国
20世紀になるとアメリカが統一され、
プロイセンがドイツ帝国となり五大国を凌駕する。
ドイツとアメリカは共に革新的な製品を生産し、
重工業でイギリスを抜いてしまった。
この頃、日本はまだ幕末で鎖国中であった。
欧米に比べてかなり遅れている……
ドイツ vs イギリス
それから数十年たつと、
ドイツ製品がイギリスの市場を奪ったうえ、
新興国ドイツが海軍を急拡大したことで、
覇権国イギリスがキレた。
イギリスが海の王者でいられなくなってしまう。
そこでイギリスはアメリカに接触し始め、
ドイツが対抗してオーストリアと接触した。
世界が二極化
同盟のブロック化が英仏露「三国協商」と
ドイツ・オーストリア・イタリア「三国同盟」という
2大勢力を生む。
この頃、日本は日清戦争・日露戦争の連勝で
イケイケムードであった。
ここで第一次世界大戦が開戦することになる。
では、2大勢力からみていこう。
三国同盟 vs 三国協商
独仏戦争で勝利して「ドイツ帝国」が成立した。
まずドイツを中心とした三国同盟が成立し、
ロシアとは中立の政策をとったが……
その後ロシアが日露戦争で敗退して
アジア⇒ヨーロッパと方向転換してドイツと対立。
イギリスを中心とした三国協商が成立した。
ドイツ vs フランス
独仏戦争ではドイツが勝利し、
フランスからは多額の賠償金を得た。
とはいえフランスには
まだまだ余力があり、報復の可能性もあり、
フランスを孤立させる作戦に出る。
三国同盟
ドイツはオーストリア・イタリアと同盟を結んだ。
さらに周辺の弱小国と積極的に貿易し、
ドイツに対して経済依存させた。
こうして、フランスを孤立させる過程で
「三国同盟」が誕生した。
ロシアとは中立を約束するが……
ドイツとロシアがお互いに中立になれば、
フランス・ロシアとの挟み撃ちを防ぐと同時に
後方の憂いも消失して一石二鳥である。
これでドイツはヨーロッパ方面に、
ロシアはアジア方面へ専念できるようになった。
ところがギッチョン!
ロシアは極東に南下し日露戦争が勃発するも、
日本相手にまさかの大敗を喫する。
世界の五強が辺境の小国に負けてしまった……
ドイツ vs イギリス
ドイツの3B政策もイギリスの3C政策も、
3つの都市を鉄道で結ぶ植民地政策である。
ドイツの拡大路線はアジアにも進出し、
イギリスの縄張りである中国に手を出した。
さらに中東にも進出したことで、
3B政策と3C政策がカチ合った。
これでドイツとイギリスの関係が悪化した。
イギリス+ロシア
イギリスとしては、日英同盟を組んでいたものの、
ロシアが日露戦争の敗戦で中国から手を引いたので
もうロシアを警戒する必要がなくなった。
日露戦争で敗退したロシアは
西方に勢力拡大を転換し始めた。
そこでドイツとカチ合ったので
イギリスと組むことにした(英露協商)。
露仏同盟、英仏協商と合わせ、「三国協商」が成立。
協商と同盟の違い
「同盟」は戦争時に援軍を出すいっぽう、
「協商」は経済協力なので戦争では協力しない……
とはいっても協商を組んでいる相手であれば、
有事の際には同盟に強化されやすい。
バルカン半島
- 1908年 オーストリアがボスニアを併合
- 1912年 第一次バルカン戦争
オーストリアに対抗して4ヵ国が同盟 - 1913年 第二次バルカン戦争
領土問題で同盟国同士が仲間割れ - 1914年 サラエボ事件
第一次世界大戦のきっかけとなった事件
ヨーロッパの火薬庫
ゲルマン人の勢力を拡大する汎ゲルマン主義。
スラブ人の勢力を拡大する汎スラブ主義。
バルカン半島はゲルマン人とスラブ人が
国や地域で入り混じっており、
この地域に拡大路線が広がると両者が激突した。
ゲルマン人 vs スラブ人
ゲルマン系民族のオーストリアが、
スラブ系民族のボスニアを併合した。
するとロシア(スラブ系)がオーストリアを警戒し、
セルビアなどのスラブ系国家を支援すると、
4ヵ国でバルカン同盟を組ませた。
第一次・第二次バルカン戦争を経て
バルカン内部にますます緊張状態が強まった。
それだけでなく、
ドイツ・オーストリアやロシアといった
大国の進出が重なり、一触即発の状態である。
些細なきっかけで大爆発する状態だった……
その時、トンでもない事件が!!
サラエボ事件
占拠したボスニアの視察のため、
オーストリア皇太子が妻を連れて視察に来た。
セルビア人青年団「次は我々を占領するのか!?」
青年団が過激派テロ集団に変貌し、
皇太子夫妻を殺害してしまった……
次期皇帝を奥さんもろともブチ殺すという
取り返しのつかないことをやった。
オーストリアの思惑
セルビア単独なら楽勝……
しかしロシアが援軍を出してくるのは明白であり、
タッグを組まれると勝てない。
そこでドイツに打診し、支援の確約を得た。
ドイツにロシアを威嚇してもらえば、
1:1でセルビアを叩ける見込みである。
ここまで数週間かかってはいるが、
セルビアとの戦争ができる体勢になった。
オーストリアが最後通牒
- 反オーストリアの出版物・宣伝を全面禁止
- セルビア右翼団体の即時解散
- 反オーストリアの公的機関を全て排除
- 反オーストリアの軍人・政治家を全て排除
- 抵抗勢力抑制にオーストリア政府機関を介入
- オーストリア機関がサラエボ事件を直接捜査
- 主犯と思われる2名の即時逮捕
- セルビア国内への武器密輸を禁止
- 国外での反オーストリア発言を釈明
- 全ての進捗状況を即時報告
激怒したオーストリアが10の要求を突き付けた。
回答期限は48時間……
セルビアはなんとか8つを容認したが、
5・6の2つは主権侵害として保留にした。
(認めてしまえば独立国でいられなくなる)
この「保留」を不服として、
オーストリアはセルビアに宣戦布告した。
そもそも、
この要求は受け入れ不可能な内容にしてあった。
しかしこの後、
ドイツが最後通牒を連発してしまう……
第一次世界大戦
- 【1914年】
- 6/28 サラエボ事件
- 7/28 オーストリアがセルビアに宣戦布告
これが第一次世界大戦が開戦となる - 8/1 ドイツがロシアに宣戦布告
- 8/3 ドイツがフランスに宣戦布告
- 8/4 ドイツがベルギーに侵攻
(同日、イギリスがドイツに宣戦布告) - 8/23 日本がドイツに宣戦布告
日英同盟の付き合いで仕方なく…… - 8/26 タンネンベルクの戦い
ドイツとロシアが激突 - 9/5 マルヌの戦い
ドイツとフランスが激突
ドイツが暴走
ロシアが兵の動員を開始すると、
ドイツ「12時間以内に撤兵させろ」と要求。
シカトされたのでロシアに宣戦布告した。
露仏同盟を結んでいたフランスには、
ドイツ「18時間以内に中立を宣言しろ」と要求。
シカトされたのでフランスに宣戦布告。
【独・オーストリア vs セルビア・露・仏】
いつの間にか、ドイツが主役になっていた。
イギリスまで敵に回す
ドイツはフランスに攻めやすくするため、
中立国だったベルギー・フクセンブルクに
軍の通行要求をしたが、拒否された。
そこでベルギー・ルクセンブルクにも
最後通牒を出して強引に進軍させた。
ベルギーとはロンドン条約があったので、
即刻、イギリスがドイツに宣戦布告してきた。
すると……
ヨーロッパ全体に拡大
今度はロシアと敵対していたトルコ、
セルビアと領土争いをしたいたブルガリアが
ドイツ側で参戦してきた。
オーストリアと領土争いがあったイタリアも
ドイツ側で参戦した。
世界中に拡大
日英同盟の付き合いで日本がイギリス側で参戦。
イギリス植民地だったオーストラリアも参戦。
同時に、アフリカの植民地でも争いが勃発。
最終的にはドイツ側2500万人、
ロシア側4500万人もの兵が動員されるハメに。
火薬庫はバルカン半島ではなく、
実はヨーロッパ全体だったのである。
ドイツ快進撃だが……
東ではポーランド付近でドイツとロシアが激突。
入念に作戦を練ってロシアの作戦を見抜き、
ドイツが優位であった。
西ではドイツがベルギーを撃破、
フランスに侵攻してパリまで170kmまで進軍。
(東京-長野くらいまで接近してきた)
ドイツの補給が停止
国家総力戦では戦場で勝っていても、
補給がストップすれば前線は壊滅する。
ドイツがパリ近郊まで進軍してきたところで
フランスが死に物狂いでパリに軍を集めた。
さらにイギリスからの援軍が来てドイツ軍を撃退。
イギリス海軍はドイツ海軍の3倍であり、
海ではドイツが劣性だった。
海から物資を補給できるイギリス・フランスに比べ、
ドイツは補給できず深刻な食糧不足となる。
無制限潜水艦作戦
ドイツは連合国側の物資補給を妨害するため、
Uボートによる「無制限潜水艦作戦」を断行。
アメリカの民間人まで撃沈してしまい、
アメリカ軍が参戦するきっかけとなってしまった。
イギリス・フランスとドイツはお互いにボロボロで
なんとか戦争を続けていた状態だった。
そこに元気で大量のアメリカ軍が
参戦して決定打となり、ドイツ軍は敗退した。
日本とアメリカ
- 【1917年】
日本が山東半島を制圧
アメリカが参戦
【1918年】
アメリカ軍がヨーロッパ上陸
1月 ロシア革命
7月 米騒動
11月 ドイツ敗退⇒終戦
日米はボロ儲け
日露戦争で借金まみれだった日本は、
第一次世界大戦でボロ儲けする。
ヨーロッパが戦場だったので、
日本とアメリカに兵器の注文が殺到した。
第一次世界大戦前に11億あった借金は完済。
反対に27億円を貸すまでになった。
現在でもアメリカが遠く離れた地で
代理戦争をしたがるのは、この原理である。
日本は?
日本は日英同盟があったので、
イギリスからの要請を受け、付き合いで参戦した。
ドイツはヨーロッパの主戦場で
アジアや中国どころではない。
いっぽう日本は英仏の支援を受けながら
ドイツ二軍が制圧していた山東半島を制圧した。
日清戦争⇒日露戦争と連戦連勝だったうえに
第一次世界大戦では大した被害に合わず、
ボロ儲けできたうえに戦勝国として
国際連盟の常任理事国にまで登り詰めた。
※現在の国際連合(国連)とは違う組織
アメリカは?
アメリカにとってヨーロッパの戦争は他人事……
しかし英仏が不調だと貸していたカネが
回収できなくなってしまうので
中立だったとはいえ、三国協商側で参戦した。
日本とは仲間になったので、
日本は中国、アメリカはフィリピンと
線引きがなされた。
これで日本は中国の植民地化に集中でき、
アメリカは中国から手を引くことで、
ヨーロッパの戦線と利権に集中した。
ロシアは?
日露戦争の敗戦などで皇帝の権威が消滅したうえ、
第一次世界大戦が長引いて総力戦となる。
食糧配給や経済統制で国民生活が犠牲となり、
不満が超絶「大」爆発して革命にまで発展した。
大津事件で登場したニコライ2世と家族その他が
皆殺しにされ、ロシア帝国が消滅し
世界最大国家「ソビエト連邦」が誕生する。
米騒動
ロシア革命によって社会主義が中国・朝鮮にまで
広がることを阻止しようとシベリアに出兵した。
戦争には大量の「米」が必要である。
米問屋が転売ヤーに変貌して買い占めし、
米の価格が数倍になってしまった……
主婦がブチ切れた
米の価格は、現代よりも家計に直結する。
肉や魚などのタンパク源に乏しかった当時は、
ほとんどコメしか食っておらず、
肉体労働者は1日1升(1.8L)もの米を消費した。
米価の高騰によって家計が壊滅状態になったので
富山の主婦たちによる安売り要求が全国に波及し、
50日間で数百万人の暴動にまで膨れ上がった。
25000人以上が検挙、2名が死刑判決を受けた。
終戦
戦争終結前後にはドイツ帝国、ロシア帝国、
オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国など
いくつも帝国が消滅した。
ヨーロッパにおける君主制が崩壊した。
ベルサイユ条約
- 1320億マルクの賠償金
- 海外植民地没収
- 領土の分割・没収
パリ講和会議によってドイツの戦争責任と
軍事制限を話し合った。
フランスが仕返し
イギリス・アメリカはそうでもなかったが、
フランスが昔の仕返しにこだわり、
あくまでも懲罰的に推し進めた。
1320億マルクは日本円で200兆円であり、
ドイツの国内総生産20年分に達した。
これが世界恐慌の大きな原因の1つとなる。
ここで押しつけた莫大な賠償金や領土問題、
さらに敗戦国という理由だけで完全に悪者扱い。
(ドイツは巻き込まれた側面も強い)
ドイツ国民のプライドはズタズタに破壊され、
これが第二次世界大戦の原因となってしまう。
明らかにやりすぎ
第二次世界大戦はヒトラーが中心となり
ドイツが暴走した世界戦争と思われがちである。
しかしドイツをここまで追い詰めたのは、
パリ講和会議のフランスによる懲罰的暴走である。
それに群がって賠償金を吊り上げた他国にも
世界恐慌や第二次世界大戦の責任は、ある。
無関係なドイツ国民のプライドまで踏み潰し、
生活を困窮させればいつか報復されるのは当然だ。
「勝った者が正義」という考えを変えない限り、
大義もやる意味もない戦争は起こり続ける。
ここでフランスがイギリス・アメリカのように
寛容な態度をとっていれば……
ナチスドイツは国民の熱狂的支持を得られず、
マイナーな存在のまま終わっていたはず。
国際連盟の誕生
第一次世界大戦が起こってしまったことを反省し、
二度と世界大戦を起こさないように発足。
……が、戦後処理の失敗や世界恐慌によって
共産主義が勢力を急激に拡大することになる。
ナチズムやファシズム、日本の全体主義が台頭し、
わずか21年後に第二次世界大戦が始まってしまう。
ヒトラー
「まだドイツは負けていなかったのに……」
「裏切り者のせいで講和させられた」
ドイツ国民
「そうだそうだ!!」
まとめ
第一次世界大戦は、ムチャクチャである。
サラエボ事件を起こされたのはオーストリアなのに
無関係のドイツが狂犬と化して宣戦布告しまくった。
サラエボ事件が世界大戦に発展したきっかけは
そもそもロシアが兵を動員したからである。
その張本人ロシアは革命で自滅し、
途中で第一次世界大戦から脱落してしまった……
最終的には民族紛争と関係ない英仏独が
大義もなく、報復合戦で戦っただけである。
ついには50ヵ国、7000万人以上が巻き込まれ、
2500万人以上の死者を出してしまった。
ロシアが脱落した時点で、
スラブとゲルマンの争いではなくなったはず。
バルカン半島の国々が戦うのは
「祖国を守る」という大義で理解できるものの、
英仏とドイツが争って1600万人以上の戦死者を
出すことに、いったい何の意味があったのか……
日本は日清・日露戦争で連戦連勝したうえ、
今回は激戦に参加せずにボロ儲けした。
これで「戦争の旨味」を覚えてしまったために、
戦争そのものや欧米列強を甘く見るようになる。
ww1のフランスのように時代遅れの歩兵突撃や
極度の精神論を粉砕されて叩き直していれば、
太平洋戦争の悲劇はなかっただろう。
この後日本は、どうなるか……
第一次世界大戦で主流だった戦術のまま
第二次世界大戦に突入して粉砕されることになる。
【覚え方】
- 1914年 第一次世界大戦(イクいいよ!)
- 1917年 ロシア革命(イクいいな?)
- 1919年 ベルサイユ条約(イクイク)
- 1921年 軍縮会議(イク兄ちゃん)
1941年 太平洋戦争(イクよ一発!)