故人を偲ぶ儀式は必要と思われるが、
大金がかかる坊主代や葬式は必要だのだろうか?
「葬儀+戒名+墓石+墓所+法事⇒500万円」
海外の10倍であり、狂気ともいえる金額だ。
故人を偲ぶ……その行為は尊いものの、
あまりにも金額が大き過ぎる。
ましてや普段はまったく関わり寺に
何百万円も支払うのは異常ではないか?
自宅で家族だけでやればいいのではないか?
そのように感じている人が急増しており、
葬式離れ、寺離れ、墓離れが加速している。
いまや5件に1件が通夜も告別式も
行わない「直葬(ちょくそう)」である。
東京都では直葬の割合が1割であり、
年々増加している。
葬式は不要派
「葬式は生きている親族のため」とは言いつつ、
「親族の見栄のため」になりがち。
金額
- 金額が大きすぎる
- 神聖な儀式なら大金など不要なはず
- 昔は上流階級だけのものだったはず
- 仏式は高額、神式は低額
規模
- 派手な葬式は時代遅れ
- 単なる見世物でしかない
- 派手にやる必要性がわからない
- 大金がかかる葬儀は悪習
喪主の負担
- 故人と静かに過ごす時間を奪われる
- 一番悲しい喪主が挨拶や手配で忙しい
- 喪主は泣く時間すらとれない
- 葬式は喪主の負担になるだけ
- お返しの手間がすごい
義理
- ほとんどの人は義理で来てるだけ
- そもそも弔う気持ちがあるのか
- 葬式で「はじめまして」は異常
葬式は無駄派
先祖の骨を人質にとった霊感商法……
身内の死でバタバタしている所につけ込み、
言い値で払わせる葬式ビジネスには旨味がある。
霊感商法
- 人の不幸を喰い物にしていないか?
- もはや単なるビジネスでしかない
- 金のかかるイベント
- 自分は極楽も地獄も信じていない
世間体
- 世間体のためだけ
- 喪主が見栄張ってるだけ
- 親族からイヤミを言われたくないだけ
惰性
- なんとなく惰性でやってるだけ
- イヤイヤならやらない方がいい
- 結婚式も葬式も迷惑でしかない
PTAと同じで皆イヤイヤ
無駄
- 香典も香典返しも精進落としも無駄
- 自分が死んだら生活費に使ってほしい
- 自分が死んだら迷惑をかけたくない
- 49日以降の法要は日本だけの習慣
節約派
戒名だの坊さんだのは不要であるが、
「家族による見送りは必要」との考えも多い。
とはいえ大規模な葬儀はやる方も面倒だし、
義理で呼ばれる方も迷惑なのである。
質素に
- 形はどうあれお見送りは必要
- 自分は簡素でいい
- 大金をかければ成仏できるのか?
- 不景気なのだから……
- 適正価格の業者ならアリ
- 20%は直葬の時代だ
別の形で
- やるとしても無宗教で
- 別れの場が葬式である必要はない
- 家族だけでお別れの会をすればいい
- 葬式をせずに火葬も納骨もできる
- 自分が死んだら知られたくない
こころ
- 他に心温まるやり方があるはず
- 故人を思い出すことこそ本物の供養
- 大切なのは気持ち
葬式は必要派
「世間体のために必要」という意見と、
「自発的に必要」という意見に分かれる。
常識
- 田舎ではしきたりになっている
- 今後の付き合いに必要
義務ではないが常識 - 周りから口を出されるから
- やらないと変な目で見られる
付き合い
- 一人で育ったわけではない
- 家族だけで生きてきたわけではない
- 葬式は人生の縮図
- 葬式でその人の人生の価値がわかる
- 会葬者が多いほど香典が増える
残された人のため
- 悲しみを思い出に変える儀式
- 心に区切りをつける意味で必要
- 悲しみによって命の尊さを学ぶ場
- 遺族が気持ちの整理をするため
- 忙しくすることで悲しみを忘れる
- 死について学ぶ機会になる
供養
- 最後の別れの場にふさわしい式を
- 自分には不要だが家族にはしてあげたい
- 故人をしっかり供養したい
- 直葬では切ない
- やらないと成仏できない
- 故人を見送る機会は1度だけ
サンタクロースは信じていないものの
クリスマスにはオモチャが飛ぶように売れる。
お経や墓はそれと同じ現象かもしれない。
寺は不要派
神だの仏だのを信じていた大昔ならともかく、
このITの時代に死後に魂がどうのこうの……は
単なる霊感商法でしかないと感じる若者が多い。
カネ
- お布施の額が決まっているのは疑問
- 法事の回数が多すぎる
- 三回忌以降は坊主の儲けだけ
寺はカネ、カネ、カネばかり - 寺の修繕に20万とか意味不明
- 他宗教より本堂が豪華すぎる
- 豪華建物の維持で高額な布施は無意味
バブル時代は景気が良かったので
寺院のいいなりでカネを払っていた。
その名残によって未だに本堂の建て替えなどで
数十万円単位の寄付を求められる。
坊さん不要
- 坊さんは不要だが葬儀は必要
- 坊主代が高すぎる
- お教の必要性がわからない
そもそもお経は死者への弔いではなく、
「死の恐怖をやわらげるため」のものである。
葬儀屋という名のイベント屋と
坊主がライブパフォーマンスをしているだけ!?
戒名
- 戒名代が高すぎる
- 坊主がPCソフトで決めてるだけ
- 自分でつけられないのはおかしい
- 仏教徒じゃないのに死んで仏門に入る??
- ブッダの教えに戒名なんかない
昔の坊さんは酒も女も肉も断って、
葬儀でもボッタくらなかった。
今の坊さんは酒も肉も断っていないどころか、
キャバクラ・風俗で開業医も敵わないほど豪遊……
東南アジアの「本物」の僧侶は、
古来から現代まで尊敬され続けている。
酒とも女とも肉とも札束とも無縁だからだ。
無宗教
- もはや宗教そのものが時代遅れ
- そもそも宗教自体がイヤ
- 輪廻転生などない
- 葬式仏教は不要
- 日本のシステムは異常
- 大乗仏教は新興宗教だったはず
- 死亡したら仏弟子になって戒名??
- 檀家制度は天下の悪法だった
- 自分は無宗教であり仏教徒ではない
神や仏、天国や地獄など存在しないものを信じ、
祈る行為に意義を感じない若者が増えている。
それらを信じていない人にとっては、
葬式などカネも時間も無駄でしかない。
墓は不要派
将来的には男性3割、女性2割が
生涯未婚のまま亡くなっていく見込みである。
子供の減少と独身の増加により、
墓仕舞いをして新たな墓を作らない傾向である。
お墓いらない
- 墓石150+墓所200は高すぎる
- 散骨でいい
- 子供に面倒をかける
- 自分は墓に入りたくない
- 少子化でいずれ誰も来なくなる
- 魂は自然の中を自由にめぐるもの
「お骨は墓に」という固定観念は、
もはや時代遅れとなりつつある。
墓じまい
宗派の関係ない霊園に移る、永代供養、散骨などで
寺との関係を終わらせることができる。
墓をなくすには寺に3万円、石材店(墓石撤去)に
10万円程度が相場である。
100万円などボッタくりもあるので注意。
お骨は寺のモノではない
悪質な寺院ではカネを払わないと、
「お骨を渡さない」と違法な主張をしてくる。
お骨は寺院でなく檀家の所有物であり、
寺院には拒否権がないのだが……
葬式仏教の歴史
日本古来の宗教は神道(神社)である。
仏教(寺)は日本古来の宗教ではなく、
飛鳥時代に朝鮮半島から伝わった新興宗教だ。
仏教は新興宗教
日本には3000年以上の歴史をもつ神道という
日本独自の宗教があり、神社で運営される。
飛鳥時代に大陸から伝わったのが仏教であり、
日本古来の宗教ではない。
坊主がお経を読んで戒名をつけないと
成仏できないならばキリスト教徒やイスラム教徒の
魂は永遠に彷徨っていることになる。
明治に廃止
もともと檀家制度とは、
江戸時代にキリスト教の排除のため強制された。
「我が家の宗派は○○宗」
各家庭が自ら入信したわけではなく、
強制的に最寄りの寺の檀家にされた名残である。
坊さんのお経がないと成仏できない……
戒名がないとあの世で困る……
そう信じさせることで大金を出させる
「霊感商法(葬式仏教)」が誕生した。
無理やり流行らせた
檀家制度は明治時代に廃止されているが、
習慣として葬式仏教は続くことになる。
戦後の高度経済成長期に、
寺・葬儀屋や花屋・仏壇屋などカネの亡者が
どんどん値段を吊り上げていった。
1時間のお経に30~60万円なんて……と
思ったところで、
寺に墓があり、骨を人質にとられている。
いちいちカドを立てるのも面倒なので、
ついつい言い値で払ってしまう。
費用
- 葬儀屋(150万円)
- 墓石(150万円)
- 墓所(200万円)
- 坊さん(50万円)
海外に比べ10倍以上の費用がかかる……
「読経・通夜・葬儀・墓なし」で直葬にすれば、
それら費用も一切かからず、面倒もない。
では、直葬の流れはどうなっているのか?
直葬
直葬なら①移動⇒②火葬⇒③散骨の
3ステップで終了である。
法律で決まっているのは、たったの2つ。
- 火葬は火葬場のみ
- 埋葬は墓地のみ
これ以外は「すべて」自由である。
骨は自宅に置いて、手元供養でもかまわない。
①移動
死亡診断書etc.の必要書類を持って役所に行き、
火葬許可証をもらう。(24時間OK)
火葬場の予約をする。
死亡診断書あればマイカーで運んでもよい……が
固定が効かず体液の漏れや破損などがあるかも。
マイカーはあまりオススメできない。
棺桶
火葬場では棺桶に入れないと焼いてくれないし、
棺桶をイチから自作するのは難しい。
折りたたみ式を通販するか葬儀業者から購入する。
折りたたみ式の棺桶と骨壺を通販で用意し、
「寝台車・ドライアイス・安置」の直葬セットだけを
業者に頼めば、10~20万費用でラクに進められる。
死亡してから24時間は火葬できない法律があるので
一晩はどこかに安置しなくてはならない。
②火葬
火葬してから収骨し、骨壺に集める。
ちなみに、
収骨を断れば骨は火葬場で処分してくれるので
②で終了とすることもできる。
③散骨
骨にさえしてしまえば、ずっと家に置いておける。
あとはゆっくり墓や散骨などの選択をする。
墓に移すだけなら坊主は必要である……が、
葬式・戒名を頼まずに墓に入れようとすれば
ほぼ確実に寺とトラブルになる。
墓を持つ場合
慣例として墓を持ちたい場合、
仏教徒でない者は寺がらみの墓は持たない。
その場合は、
宗派とは関係のない公営墓地や霊園を利用する。
まとめ
棺桶や骨壺、搬送などの事前準備を怠らず、
ドライアイス処理や搬送など最低限のことだけ
業者に頼めば、100万円以上が10万円以下で済む。
大切なのは「お金をいくらかけたか」ではなく、
「どれだけ故人を想ったか」である。
ド派手な葬式イベントでお経の大合唱をするより、
家族だけで思い出話をして盛り上がる方が、
よっぽど心がこもっているように感じる。
我が家は父の葬儀で60万円請求され、
さらに寺の修繕で20万円請求された。
受け取る態度も「当然」という雰囲気だった。
葬式+坊主+お経……
そんな時代遅れのライブパフォーマンスなど、
「オレには必要ない」と感じた。
個人的には寺も墓も不要であるが、
亡くなった時の儀式はあってもよいと思う。
それには大金などまったく必要なく、
自宅で、家族だけで、質素に行えばよい。
大切な人を亡くした時にあなたがどうしたいか?
オレは習慣や世間体はシカトして、
本人の希望通りにしてあげたい。
ただ、葬式そのものを否定するつもりはなく、
やりたい人は500万でも1000万でもかけて
ド派手にキメたらいい、とは思う。
「直葬」は全く、故人を悼むものではありません。
ただの形式。お金を遣いたくない人たちばかりです。
直葬した人たちに故人を想って語り合うのを見たことないです。
家族葬できちんとお通夜したほうがいいです。
無駄にお金をかけなくていいですけど。
「散骨」はただ、撒くだけ。落とす、という感じ