スポンサーリンク

【わかりやすく】アヘン・日清戦争「原因と結果」6の不平等条約、朝鮮独立

明治維新後、日本は25年かけて近代化していく。

その間、国内政治は総辞職やテロが連発し、
大久保利通は頭蓋骨をカチ割られメッタ刺し、
大隈重信は爆弾テロで右足が吹き飛ぶ。
警察官が来日中のロシア皇太子を斬るなど
もう、ムチャクチャである。

アヘン戦争や日清戦争の原因も、
ムチャクチャである。

日清戦争が終われば、10年後には日露戦争……
国内でも国外でも争いが絶えなかった。

日本は一体、どうなってしまうのか?

スポンサーリンク

清が近代化するまで

日本の対戦相手である清の情勢を示すため、
1840年(江戸時代)から開始する。
(日本では幕末に該当する)

この時期、欧米列強はアジアで
不平等条約を強制しまくっていた。

不平等条約を連発

青……清が結ばされた不平等条約
緑……日本が結ばされた不平等条約

  • 1840年 アヘン戦争①
  • 1842年 南京条約(英ー清)
     同年 黄埔条約(仏ー清)
  • 1844年 望厦条約(米ー清)
  • 1853年 横浜に黒船来航
  • 1854年 日米和親条約(日米不平等条約)
  • 1856年 アロー戦争(アヘン戦争②)
  • 1858年 天津条約(英ー清)
     同年 蘭露英仏と不平等条約
  • 1860年 北京条約(英ー清)
  • 1863年 薩英戦争
  • 1864年 下関戦争
  • 1867年 大政奉還
  • 1868年 戊辰戦争
  • 1877年 西南戦争
  • (中略:本記事)
  • 1894年 日清戦争
     同年 下関条約(日ー清)

清とイギリスで貿易

清は中国4000年の歴史において、
300年栄えたアジアのボスである。
そこでイギリスは巨大な市場を求めて
清と貿易をしたが……

イギリスが貿易赤字

清の茶や絹、陶器など工芸品は高級であり、
イギリスで大人気だった。

いっぽうイギリスの工業製品は低級であり、
清で人気が無く、ほとんど売れない。
清は「何でも揃っている国」を自負しており、
イギリスの日用品など不要だったのである。

「清は売るばかりで、買ってくれない……」
そこでエゲレスはえげつない商売をはじめた。
ベンガル地方でアヘンを大量生産し、
清に密輸して、国民を麻薬中毒にしたのである。

アヘン戦争①(1840)

アヘン(モルヒネ)はダウナー系ドラッグであり、
毛穴1つ1つまでリラックスできるので、
一度やってしまうとアヘン無しでいられなくなる。
清の国民をアヘン中毒にしてから値段を吊り上げ、
ヤメられない相手からボロ儲けした。

清国民がアヘン中毒になると、
アヘン代として銀が大量流出して財政難に。
当然、清はアヘンを取り締まった。
すると、商売の邪魔をされたイギリスが逆ギレし、
清と戦争が始まってしまった。

清がアヘンを取り締まるのは当たり前であり、
イギリスの言い分はムチャクチャである。

イギリスが圧勝

イギリスは蒸気船、清は帆船……
まったく勝負にならない。
イギリス海軍は制海権を完全に掌握し、
各個撃破して清のジャンク船を粉砕した。

白人というのはアフリカでは黒人を奴隷にするし、
南北アメリカ大陸ではインディアンを虐殺するし、
アジアには侵略戦争を仕掛けてくるし、
つくづくトンでもないヤツらである。

不平等条約を連発

アヘン戦争で大敗した清は、
イギリスと南京条約を結ばされる。
すると、
フランス「オレも!」アメリカ「オレも!」
と、なし崩し的に不平等条約を結ばされる。

その後も貿易に不満だったイギリスは
アヘン戦争同様にムチャクチャな難癖をつけて
アロー戦争を引き起こし、また清をボコボコに。
さらに天津条約、続いて北京条約を結ばせた。

次のターゲットは日本であり、黒船が来た。
清の様子を見て、
日本が黒船や欧米列強にビビってしまい、
五カ国との不平等条約を連発された。

日本も清も近代化

アヘン戦争によって、清は欧米列強との
圧倒的な差を知った。
その後、日本も薩英戦争・下関戦争で
同じことを知ることになる。

こうして清も日本も強制開国され、
同じ時期に近代化していく。
清がユルやかに近代化していったのに対し、
日本は死にもの狂いで近代化を済ませ、
一気に帝国化していった。

スポンサーリンク

日本は帝国化

  • 1871年 琉球漂流民殺害事件・廃藩置県
    台湾で琉球人が54名殺された。
  • 1873年 明治6年の政変・徴兵令・地租改正
    西郷隆盛・板垣退助がキレて辞めた
  • 1874年 台湾出兵
    琉球が日本領であることをアピール
  • 1875年 江華島事件
    朝鮮強制開国のために挑発
  • 1876年 日朝修好条約・廃刀令
    日本が朝鮮に不平等条約をさせた
  • 1877年 西南戦争
    士族の反乱を鎮圧
  • 1878年 大久保利通(49) 暗殺
    士族の仕返し
  • 1879年 琉球藩⇒沖縄県
  • 1881年 明治14年の政変
    2トップの大隈重信が失脚
  • 1883年 鹿鳴館が開館
    明治時代を象徴する建物
  • 1885年 伊藤博文が初代総理大臣に
  • 1886年 長崎事件
    下半身の衝突が大事件に
  • 1889年 大隈重信 爆弾襲撃
  • 1890年 大日本帝国憲法制定
    天皇を神扱い
  • 1891年 大津事件
    警察官がロシア皇太子に斬りかかった
  • 1894年 日清戦争
    世界の予想を覆し日本が大勝

    【その後……】
  • 1904年 日露戦争
  • 1914年 第一次世界大戦
  • 1937年 日中戦争
  • 1939年 第二次世界大戦
  • 1941年 太平洋戦争
  • 1945年 日本が無条件降伏

帝国主義とは?

帝国とは、弱い国を植民地にして、
強大な軍事力と広大な領土をもった国である。

日本や清にとっては、
台湾・琉球・朝鮮が植民地の第一候補である。
そんなとき、台湾で事件が起こった。

琉球漂流民殺害事件

宮古島の船が遭難して台湾に漂着すると、
原住民パイワン族が54名を斬首して殺害した。

日本は清に厳重に抗議するも、
パイワン族は先住民の少数民族である。
そのため、
清「パイワン人は化外の民で無関係」
との返事が来る。

両属関係を清算したかった日本は、
これを口実とする。
「琉球の民は、日本の民である」
「清が処罰しないのなら日本が処罰する」

明治政府として、初の海外出兵が決定した。

富国強兵政策

  • 学制 身分性別関係なく学校へ
  • 税制 モノでなくカネで徴収
  • 兵制 武士を廃止し、徴兵

大久保利通のスローガンであり、
鉄道や工場制手工業などの近代化や徴兵により
富国(産業up)と強兵(軍事力up)を行った。

ここで明治6年の政変が起こり、
西郷隆盛・板垣退助他600名が辞職した。
国内政治と対外政治は同時進行で行われており、
この混乱状態の中、台湾に出兵した。

台湾出兵(1874)

欧米列強にとって、日本と清が戦争すれば
アジアとの貿易に障害となる。
そこでイギリスが仲介することにした。

清はアロー戦争で英仏に壊滅され衰弱しており、
日本と戦争する余力がなかったため、
清が日本に賠償金50万両を支払って手打ちとした。

台湾は清、琉球は日本の領土と決まる。
琉球の問題が片付くと、次は朝鮮半島である。

江華島事件(1875)

日本政府は朝鮮に開国を求めたが、
朝鮮は鎖国を理由に拒否した。
そこで、日本は挑発することにした。

かつて黒船などで欧米列強が日本にしたように、
同じ方法で朝鮮を開国させにいく。
日本の軍艦がソウル近隣に停泊し威嚇すると、
案の定、キレた朝鮮が砲撃してきた。

日本「水を求めて接近したのに砲撃されたw」
「なぜ砲撃したのか確認するため砦を占領した」
などと、自作自演を大義名分にして脅した。

日朝修好条約

江華島事件による強制開国で不平等条約を締結。
この条約で、2つの権利が日本のモノとなる。

関税は日本が決められるので、
朝鮮は輸出品を安くされ、輸入品は高くされる。
日本人が朝鮮で何をやっても
朝鮮人は日本人を裁くことができない。

かつて欧米列強が日本にした不平等条約である

国内では翌年、西南戦争が起こり
西郷隆盛が自決する。

スポンサーリンク

暗殺や襲撃

明治維新で士族を強引に消滅させたので、
不平士族の一部がテロリスト化した。

大久保利通の暗殺

東京都千代田区にて、士族6名が襲い掛かった。

馬車から引きずり出して、頭蓋骨を叩き割り、
刀でノドを貫通させて全身メッタ刺しという、
積年の恨みを晴らすような惨殺であった。

犯行の動機

西郷隆盛の処遇に対する怒りや、
仕事や特権を奪われた恨みが重なり、
愛国者からテロリストに変貌してしまった。

斬奸状(ザンカンジョウ)を持参して、犯行に及んだ。

  • 国会も憲法もない
  • 汚職や税金の無駄使い
  • 愛国者たる士族の排除
  • 不平等条約の放置

彼らは建白書などの言論が全く効果なかったので、
政府要人の暗殺に方針を切り替えたのである。
他にも、岩倉具視・伊藤博文・大隈重信などが
ターゲットとして候補に上がっていた。

明治14年の政変

自由民権運動が農村部まで拡大すると、
「国会を作れ」との意見が強まった。

政界の2トップは大隈重信と伊藤博文である。
大隈重信はイギリスを参考とし国会を開く派、
伊藤博文はドイツを参考とし、
国会はもう少し後に開く派である。

そんな時、北海道開拓での汚職事件が原因で
大隈重信が政界から追放された。
そして、伊藤博文が初代総理大臣となる。

立憲改進党⇒爆弾テロ(1889)

Cited from “pekachu“.

政界を去った大隈重信は、
立憲改進党を結成して再起を図る。

その後外務大臣となり条約改正にあたるも、
その内容に納得できない不平士族テロリストに
爆弾を投げつけられ、右足を失う。
しかし一命をとりとめ、政治家は続行した。

大日本帝国憲法の制定(1890)

  • 天皇主権(国民主権でない)
  • 議会で決定する
  • 国民の自由は法律の範囲内のみ

皇族や貴族からなる貴族院と、
選挙で選ばれた議員からなる衆議院とで
構成される。

選挙権は、
「直接国税15円以上を収める25歳以上の男子」
これは全体の1%しかいない富裕層のみが
該当なので、民意が反映されることはなかった。

そして翌年、トンでもない事件がおこる。

大津事件

ロシア皇太子ニコライ2世が
シベリア鉄道起工式で世界を回り、来日した。

琵琶湖観光のときに警備していた警察官が
なんと、サーベルで頭部を斬りつけてしまう。
小国の日本が大国ロシアの次期皇帝を暗殺未遂……
起こってはいけない事件が起こってしまった。

明治天皇自らが謝罪とお見舞いに行ったので、
ロシア側が折れて戦争にならずに済んだ。

スポンサーリンク

日本と清

琉球・台湾の問題が片付いたら、次は朝鮮である。
欧米列強に対抗するため、
日本も清も朝鮮半島を植民地としたい。

しかし、朝鮮はもともと清の属国であり、
旧来の関係を維持しようと日本の浸出を拒んだ。
「清+朝鮮 vs 日本」という図式であった。

清は産業革命に失敗

欧米との圧倒的な差を見せつけられた後も、
「何でも揃っている国」であった清には
産業革命の必要がなかった。
アジアのボスとして慢心が続き、貿易を拒んだ。

つまり、産業革命に成功しなかった。

日本は成功

日本は死にもの狂いで欧米に習い、
産業革命を成功させていた。
日本は明治維新という革命の後、
近代化が始まったから「本気」だった。

しかし、議会で対立して解散……の繰り返しで、
日本はコロコロ総理大臣が変わる状況だった。

ところが、「打倒!清!!」となれば
議会は一致団結した。
(韓国が竹島にやたら頼るのと同じ現象)

長崎事件

話は少しさかのぼって1886年に戻り、
清への国民感情が悪化した事件を1つ紹介する。
(伊藤博文が初代総理大臣になった後くらい)

清が最新式の軍艦4隻を購入すると、
朝鮮に出動してロシアを威嚇しに行った。
帰りに燃料の補給と修理のため、長崎に入港した。
当時は優位とされた清が、
ついでに日本も威圧しに立ち寄ったのである。

8/13 予約せずに来店

日本の許可なしに水兵500名が長崎市に無断上陸。

遊郭の順番待ちにキレて暴れ、警察沙汰になる。
「なぜ自分が先に来たのに、後から来たヤツが
発射し終えるまで待たなきゃいけないのか!」
「中国人だからって、後回しにしてるだろ!」

彼らがキレたのはなぜか?
中国大陸には売春婦が山のようにいるので、
いちいち予約などしない。
ズラリと並ぶ嬢の中から、好きなのを選ぶ。

日本では予約せずにフリーで店任せにすれば、
客がつかないブスを当てがわれるリスクを負う。
そんな辛い思いを避けるため、予約をする。

キレた水兵は建物を破壊し、逮捕されると、
仲間を救うため水兵が交番を囲む騒ぎになった。

8/15 放尿の瀧

今度は水兵300名が無断で上陸してきた。

交番の前で何名か並ぶと、立ちションをして挑発、
注意した警察官3人を300人で袋叩きにする。
助けようとした長崎市民と加勢した水兵で大乱闘。

おチンチンの暴走が原因だったとはいえ、
双方で複数の死者、数十名の負傷者が発生し、
大事件にまで発展してしまった。

これが原因で日清戦争に発展した……
わけではないが、対清感情の悪化は事実である。

では、何が日清戦争の原因なのか?
「日本軍が朝鮮半島から撤退しなかった」
からである。

スポンサーリンク

日清戦争の原因

朝鮮の内乱を鎮圧するため清が出兵すると……
遅れをとるまいと、日本も出兵した。

内乱が収まっても日本軍が撤退に応じず、
そのまま朝鮮を占拠する行動に走った。

朝鮮内の二派

  • 日本に従って近代化を目指す革新派
  • 今まで通り清の属国を続ける保守派

2つの事変

壬午事変(1882)では、
朝鮮兵が日本式の近代化に反乱を起こした。
甲申事変(1884)では、
親日派のクーデターが清軍の介入で鎮圧された。

2つの事変で保守派が優位となる。
清の影響力が強い状態で、
日清戦争のきっかけとなる内乱が起こる。

1894年1月 甲午農民戦争

朝鮮半島で「東学」なる宗教を信仰する農民が
食糧価格高騰や重税に対して大規模反乱を起こす。

5月 清に援軍を依頼

農民軍が全土を占領し、もはや朝鮮政府が
自力で鎮圧できなくなってしまった。

そこで宗主国の清に援軍を依頼した。

6月上旬 日本と清が出兵

清は朝鮮の要請により、属国保護で軍を派遣した。

日本「在留邦人を保護するため出兵する!」
(直訳:清に抜け駆けはさせんぞ)
朝鮮「え?呼んでませんけど……」

このままでは日本の影響力がもっと下がる……
強引に理由を作って日本も出兵すると、
対立する日本と清の軍が顔を合わせた。

日本軍も清国軍も朝鮮人も、
みんな仲良くチーパッパ……となるわけがない。

スポンサーリンク

1894年6月

日本は強引に朝鮮に居座り続け、
清を追い出す口実を探り続ける。

朝鮮内で和睦

【6/11】
日本まで軍を派遣してきた……
朝鮮政府は焦り、急いで東学党と和睦し、
農民反乱を終結させた。

朝鮮「反乱が終結したので撤兵してください」
日本軍が駐屯する理由がなくなってしまった。

【6/15】
日本「まだ完全には収まっていないと思う!」
日本と清で共同統治する案を提示した。
出兵の理由を、
在留邦人保護⇒朝鮮改革に変換したのである。

日本「朝鮮は独立国家だよねw」
(直訳:清の属国ではないよね!)

【6/21】
日本「一緒に朝鮮を改革しよう」
清「反乱は終わったのだから撤兵が先だろ」
清「朝鮮に内政干渉するつもりはない」
清「朝鮮が独立国なら、日本は干渉するな」


日本と清で朝鮮を共同統治する案は、
あっさり断られちゃった。

絶交書①

【6/23】
日本「じゃあオレだけでやるわ!」
フラれてキレた日本は、
清に第一次絶交書を突き付けた。

【6/27】
日本は国会が大荒れだったので、
朝鮮で何の成果も出さずに撤兵など
できない雰囲気だったのである。

朝鮮改革のため、日本は追加で派兵した。
清軍2500に対し日本軍が8000となる。
もはや、一触即発の状況である。

スポンサーリンク

7月 開戦へ


【7/12】
7月に入っても朝鮮+清は同時撤兵を主張、
日本は朝鮮の改革を主張し、平行線で交渉決裂。
第二次絶交書を清に突き付けた。

ちょっと日本がムチャクチャかな……

【7/14】
絶交書の連発に激怒した清の皇帝が、
日本との開戦に備え、
ピョンヤンに海軍を集結させ始める。

【7/16】
ここでイギリスが日本に接近してきた。
イギリスの植民地付近にまで
ロシアの勢力拡大が及んできたのである。
日英通商航海条約を締結し、
不平等条約の一部が改善された。

さらに日本が清と開戦しても、
イギリスは中立であることを確認した。
(これで最大の懸念が払拭される)

【7/17】 
日本が清との開戦を閣議決定する。

【7/23】
日本が朝鮮王宮を占拠し、言いなり政権を樹立。
言いなり政権から強引に引き出した
「朝鮮独立・清軍の撤兵」を大義名分として、
日本軍が清軍に攻め込んで開戦となる。

スポンサーリンク

日清戦争

  • 【1894年】
    7月 豊島沖海戦、成歓の戦い

    ソウルを制圧
  • 9月 平壌の戦い・黄海海戦
    朝鮮半島と黄海の制海権を確保
  • 11月 旅順口の戦い
    遼東半島まで進軍
    【1895年】
  • 1月 威海衛の戦い
    全域の制海権を確保
  • 2月 清が降伏

陸軍は朝鮮半島⇒遼東半島と制圧し、
海軍は黄海⇒渤海と制圧していった。

清が優勢との予想

兵数や軍艦に勝る清が優勢とみられたが、
清は国内がまとまらず、一部しか参戦できず。
いっぽう明治維新後の日本は一丸となれた。

7月末

豊島沖海戦の勝利で朝鮮半島西岸の制海権を確保。
補給路を確保できず食糧不足に悩むも、
成歓の戦いの勝利でソウルを制圧した。

9月

ピョンヤンの戦いでも補給路より進軍を優先し、
食糧不足に悩みながらピョンヤンを制圧した。
黄海海戦で艦隊決戦に勝利すると、
清国艦隊が無力化し、黄海の制海権をとった。

11月 旅順口の戦い

わずか1日で旅順要塞を陥落させ、
遼東半島まで進軍した。

1895年1~2月 威海衛の戦い

この勝利で山東半島の残存艦隊と海軍基地を制圧、
日本海軍が黄海・渤海の制海権を確保した。

これで天津⇒北京ルートがノーガードになり、
ついに清が戦意喪失した。

スポンサーリンク

3月 清が降伏

清が降伏すると、日本は領土の割譲や
賠償金、不平等条約を押しつけた。

4月 下関条約

  • 朝鮮を属国から独立国家とする
    (直訳:清はもう朝鮮に口を出すな)
  • 遼東半島と台湾を日本領に
  • 賠償金3億円(国家予算の3.5年分)

朝鮮だけでなく清とも不平等条約を結び
日本は絶好調になる。
莫大な賠償金は軍の増強に使われ、
日本軍がイケイケドンドンになった。

清は弱体化

いっぽう、今まで「アジアのボス」と
警戒していた清が弱いとバレたので
南からフランス、北からロシア、
さらにドイツまで清の領土を切り取りに来た。

これで清が弱体化して日露戦争の引き金になる。

ロシアの南下

ロシアは、一年中流氷が押し寄せてくるような、
「凍った港」しか持っていない。
一年中使える凍らない港が欲しくてたまらない……

ロシアにとって、不凍港の候補は2つである。

イギリスはオスマントルコ領内の
スエズ運河が植民地の生命線であった。
ここはイギリスが死守したので
オスマントルコへの浸出はできなかった。

つまり、朝鮮しかない。

朝鮮へ侵攻

まずは朝鮮半島の脇に「ウラジオストク」を
開港させることに成功する。
ヴラジ(支配)+ヴォストーク(東)=
ウラジオストク(東を支配する)の意である。

でも、ここも極寒の地なので冬に凍る……
でもでもあと一歩で、念願の不凍港が手に入る。
さぁ、今から朝鮮半島の不凍港を……
という時に、トンでもない事態が!

日本が邪魔

まさに狙っていた遼東半島と朝鮮半島を
日本に奪われちゃった。

ロシア「日本をどげんかせんといかん」
今度は日本とロシアで朝鮮半島を奪い合い、
日露戦争に発展していく……

まとめ

自由民権とは?

アメリカが黒船で日本を強制開国させたように
日本は江華島事件で朝鮮を強制開国させた。
そして朝鮮半島を奪うために、
ムチャクチャな理由で開戦し、清を叩いた。

その後、アメリカは中国市場を奪うために、
日本にムチャクチャな要求を突き付け、
第二次世界大戦で叩き潰すことになる。

思えばイギリスのアヘン戦争も、
ムチャクチャな理由である。

そもそも人類が起こす戦争なんて、
だいたい片方がムチャクチャを言っている。
考えることはどこの国も同じだからだ。
弱い国への対応は従わせるか、
叩き潰すか、その二択しかない。
弱い国と共に手を取り合って……の選択はない。

歴史は、繰り返す。
第三次世界大戦が起こるのは、
時間の問題であるということだ。
日本列島を戦場にアメリカと中国が争う……
その可能性は、充分にある。



スポンサーリンク
error:Content is protected !!