神と仏の違い
もっとも大きな違いは、
「仏=人間」「神≠人間」だろう。
「仏=実在した」「神=実在しない」も大きい。
神と仏……どちらが上なのか?
神の方が「上」と認識する人が多い。
その理由になりそうな比較を列挙していく。
ただし神といっても創造主やら神話の神々やら
八百万やら徳川家康(東照大権現)やら多数あるが、
ここでは「聖書の創造主」と比較する。
日本の「八百万の神」は神というよりも
精霊のような存在である。
西洋・東洋、いろいろな宗派、神道などで
意味や解釈は異なるが……
ここでは無宗教の一般人にとっての印象を示す。
法則
- 仏……法則を説いた
- 神……法則を造った
神は全てを統治する存在で、人間の味方ではない。
人間には恵みも罰も与える。
その神が造った法則のおかげで、
人間は平和な世界を造れずに人生で苦しむ。
「この苦しみは一体どこから来るのか?」
その謎を解き明かしたのが仏である。
たとえば欲を捨てれば縛りから解放される、
施しを与えれば自分の心が豊かになる、など。
中年の法則
たとえば身近な法則として、
現世の欲を一通り満たした40代あたりから
世の中の流行り廃りに飽き飽きしてくる。
そのタイミングで若い頃と中年で価値観が逆転。
たとえば、
若い頃は何の興味もなかった日本の歴史などが
中年あたりから面白く感じてくる。
その代わり、芸能エンタメに興味がなくなる。
精神が不安定に
思春期では成長によって心が変化するのと同様、
中年期では老化や経験によって心が変化する。
その時期は精神が不安定になりやすい。
オバちゃん達は更年期障害でもっと不安定になる。
「超」大量生産⇒「超」大量消費⇒「超」大量廃棄……
こんな世の中がいつまでも続くわけがない。
そんな世の無常を感じ始めると、
今まで興味がなかった仏門や出家など
宗教関連に興味を持つ人が多数でてくる。
自分の外ではなく内側……つまり精神世界に
解放や救済を求めるようになってくる。
豆腐メンタルな人は、
そこを新興宗教に釣られてしまうのだ。
存在
仏には実在した人物も含まれるが、
創造主たる神は想像の産物である。
実在と架空
- 仏……実在した人物
- 神……架空の概念
人間が修行によって悟りを開くと仏になれる。
如来レベルはゴータマ・シッダルタだけだが、
菩薩レベルなら仏に達した人物は数知れず存在する。
さらに、
想像上の仏(阿弥陀如来や不動明王etc.)もある。
神は人間が考え出した「何か」である。
役割
- 仏……存在するモノの真理を悟る者
- 神……無から何かを創造する者
神は世界を創造し、秩序を保つ。
仏とはその神が創造した世界で
人々を救済する役割をもっている。
方式
- 仏……ボトムアップ
- 神……トップダウン
神は命令を下す存在であるが、
仏は自覚を促す存在である。
根源
- 仏……人間から発生
- 神……人智を超えた世界
生きた人間が悟りを開くことで仏になれる。
たとえば、釈迦という人物は
悟りを開くことで釈迦如来という仏になった。
神は想像の産物であり、実在しない。
性格
仏は人間の味方であるが、
神は人間の味方ではない。
罰
- 仏……人を罰さない
- 神……人を罰する
仏は人間を救済するのがメインであり、
人間を罰さずに教えを説く。
神は人間の行き過ぎた行動を「神の怒り」で
罰することもある。
プレイ
- 仏……放置プレイ
- 神……Sプレイ
仏は人が悪さをしようが死のうが黙って見続ける。
神は人が悪さをすれば容赦なく天罰を与えるし、
崇めたつ祀れば怒りが鎮まる。
修行
- 仏……人間が修行によって仏に達する
- 神……修行しない
何のために修行するのか?
仏に近づくためである。
人間は修行によって菩薩⇒如来とランクupする。
神は変身して別の姿になることはよくあるが、
修行してパワーアップ……はしない。
祈り
仏は求めるものであり、
神は信じるものである。
目標
- 仏……目指すべき存在
- 神……崇めるべき存在
仏は人間のお手本であり、目指すべき存在である。
神は人智の及ばない存在であり、
神になることを目指すことはない。
欲望
- 仏……欲望を捨てるため祈る
- 神……欲望を叶えるため祈る
罪を悔い改めない者に対して仏は嘆くが、
神は罰を与える。
何かをお願いするなら、仏でなく神である。
祈る対象
- 仏……慈悲
- 神……怒り
辛かったり苦しかったりする時に、
仏の慈悲を求めて祈る。
いっぽう天災や凶作を起こさないでほしいと
神の怒りを鎮めるために祈る。
形態
- 仏……人間から苦しみを消した最終形態
- 神……人間を超越している
人間は欲を持ったり迷ったりすることで
苦しみが発生する。
それらを無くせば、苦しみから解放される。
その方法を説いた教えが「仏教」である。
たとえば……
人生の伴侶を得る
寄生する気マンマンの婚活オバサンは
「年収500万以上・家事は分担……」などと
強欲を捨てきれないから売れ残って苦しむのだ。
そこを仏の教えに習って欲を捨て去り、
「ちゃんと働いてくれれば収入は問わない」
そして慈悲の心を持って、
「夫が職を失った時は私が支えます」
これなら、すぐに売れて救われるだろう。
それはオジサンも同様。
大した稼ぎもない腹の出たオッサンが
「若くて顔とスタイルが良いコじゃなきゃヤだ」
「そうじゃなきゃ独身のままでいいかなぁ……」
そんなゴミみたいな性欲を捨て去り、
「気立ての良いコがいい」
迷いも捨て去り、
「責任はオレがとる!」
となれば、寂しい生活から解放される。
婚活で救いを得るための方法は、1つだけ。
それは女性の若さでもなく、男性の収入でもなく、
「仏の教えに従い欲や迷いを捨てること」である。
場所
仏はどこにでも存在し、
神はいる場所が決まっている。
いる場所
- 仏……心の中
- 神……決まっている
仏は念ずれば必ずそこに現れる。
神はいる場所に赴くか、呼び出す儀式が必要。
住む次元
- 仏……人間と同じ
- 神……別の次元
仏は現世・天国・地獄etc.人間と共に存在するが、
神は別次元の存在である。
祀る場所
- 仏……寺
- 神……教会(日本の神は神社)
外国人にはどちらも「神」と感じ、
なぜ二ヶ所に分かれているのか理解不能らしい。
というか、日本人でも回答に迷う。
寺は仏教、神社は神道という
異なる宗教の施設だから……というのが無難か。
入口
- 仏……寺はこの世⇒あの世への入り口
- 神……神社はあの世⇒この世への入り口
なぜ二種類も信仰しているのか?(後述)
片方だけじゃダメなのか?(OK)
神と仏はどう違うのか?(本記事)
寺と神社は何が違うのか?(鳥居や仏像)
鳥居はどんな意味がある?(俗域と神域の境)
なぜ鈴をシャンシャン鳴らす?(魔除け・神を呼ぶ)
大学の時に留学生に聞かれ、全く答えられず、
大恥をかいてしもうたがな……
人との関係
仏は身近な関係であり、
神とはかけ離れた関係である。
関係
- 仏……人は仏の一部である
- 神……神は主、人は従者
仏は同等、神は崇高な存在といえる。
死後
- 仏……人は仏になれる
- 神……人は神になれない
五欲(財・色・食・名誉・睡眠)を捨て去れば
悟りを開いて仏になれる、と釈迦は説いた。
ゆえに、
「死体=五欲が消え去った人間=仏」と解釈できる。
壊れた⇒「オシャカになる」、
死んだ⇒「オダブツした」は超無礼な表現といえる。
姿
- 仏……人
- 神……自然
仏は人間の究極の姿であり、手本となる存在である。
神という字は「ネ」が「示」で祭壇を表し、
「申」は「田」に稲妻が落とすことを表す。
皇室
- 仏……拝まない
- 神……拝む
縄文時代から日本神話をもとにした「神道」という
土着の宗教があり、日本には神社しかなかった。
そのため、日本の皇室行事は神社系のものである。
仏教は飛鳥時代に百済から伝来した信仰宗教であり、
その頃からオトナの事情で急激に寺が増えた。
神仏習合
日本は神と仏が混在する珍しい国である。
飛鳥時代に伝来してから1000年の間に、
仏が神になったり、神が仏になったり、
インドの神を仏に取り入れたり(七副神)、
いろんな宗派で解釈が異なり……
複雑に細分化されすぎて、一般人は理解不能だ。
神道⇒+仏教
- 縄文時代 神道(日本神話)
- 飛鳥時代 仏教伝来
「神道」は日本神話が基盤となっている。
縄文時代から続く長い歴史があり、
日本だけの宗教である。
仏教が追加
「仏教」は大陸から伝来した新興宗教である。
飛鳥時代に外交のために仏教を取り入れた。
また、戸籍管理などで寺は政治的に都合が良く、
仏教と融合する形で定着した。
天皇が「神を敬い、仏を尊ぶ」と決めたので、
国民もそれに追従した形となる。
ゆえに、家には神棚があり、仏壇もある。
神社に参拝もするし、寺に墓参りにも行く。
寺と神社の違い
- 寺……仏像・僧侶・尼・住職
- 神社……鳥居・神主・巫女・宮司
皇室は仏教ではなく、神道である。
他界したら神葬祭を行い、
四十九日や三回忌などの法要は行わない。
権現(ごんげん)
文字通り「神の権化」であり、
仏が姿を変えて現世に神として現れること。
もっとも有名なのは東照大権現である。
東照大権現
地獄のような戦国時代を終わらせ、
日本を平和にするために現れた仏である。
現世での仮の姿は「徳川家康」と呼ばれ、
日光東照宮に神として祀られている。
欧米では人が神になることはあり得ないが、
日本では人が神になる解釈もありややこしい……
まとめ
現代の仏教は「葬式仏教」といって、
仏の教えを無視してカネ儲けに走っている。
煩悩を捨てて仏道に入る場所が、
釈迦の教えに背いた金儲けの拠点に成り下がった。
キャバクラの開業医「坊さんには敵わんw」
そのため信仰しても御利益はないし、
しなくとも何ら問題はない。
ゆえに、ほとんどの日本人は
神も仏も信じなくなってしまったのである。
今の坊さんはゴータマよりもオネータマなのだ。
では、何を信じているのか?
その答えは1つしかない。
現代の日本人は世界一宗教に熱心であり、
国民の99.999%が「拝金教」を信仰している。
崇拝する神様は「ユキチ様」である。
人生を救済する存在は、神でも仏でもなく
ユキチ様が描かれた紙だ。
その証拠に、その紙を持ってくる者は
「神の使い」として崇められている。
その紙には不思議な作用がある。
少量ならクスリの如く害はないが、
大量になると全能感や多幸感をもたらす。
この中毒で社会までおかしくなっている。
国民も坊さんも欲を消す仏教の教えを捨て、
欲望を満たす道を、ひたすら突き進んでいる。
仏「アイツら、もう救いようがないわ……」
神「天罰が必要だな!」