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【地獄絵図】人肉食「鳥取の飢え殺し」兵糧20日分で城内4000人4ヶ月

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鳥取の飢え殺し

兵糧攻めにあった者たちが食べた順番は、
①米②動物・草③壁④人肉である。

3ヶ月目くらいから餓死者が続出……
1人の死体に数十人が群がる地獄絵図だった。
鉄砲で撃たれれば、まだ息のある怪我人を
ナタでバラバラに解体して喰った。

肉はもちろん、頭をカチ割って脳ミソまで喰う。
脳ミソは絹ごし豆腐のトロプルクリーミー食感、
肉より美味で、奪い合うほどの人気だったという。

時系列

  • 1580年
    6月 秀吉の鳥取城攻め①
    9月 鳥取城主:山名豊国が降伏⇒追放
    年末 秀吉が米を高値で買い占め
  • 1581年
    2月 吉川経家が鳥取城へ
    6月 秀吉が姫路城⇒鳥取城へ
       周辺住民を城へ追い立てる
      6月末から包囲開始(鳥取城攻め②)
    7月 城内の食料を喰い尽くす
    8月 家畜や草木を喰い尽くす
    9月 城壁を喰い出し、餓死者が発生
    10月 人の肉や脳ミソを喰う
       吉川経家が降伏⇒切腹⇒開城

鳥取城攻めは3ステップ

「三木の干し殺し」は2年近くかかってしまい、
その間に離反者・裏切りが出てしまった。

荒木村重は裏切るし、黒田官兵衛は幽閉されるし、
竹中半兵衛は陣中死するし、時間をかけ過ぎた。
鳥取城攻めでも周囲に敵を残しておいて
背後や横腹を突かれてはたまらん……

今回は、入念に準備をした。

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①完全包囲

あらゆる海路・陸路・河川を
国と兵により二重に包囲した。

物流を遮断し、米1粒も通さなかった。

1.国で包囲

備前国・伯耆国を調略、但馬国は滅ぼして、
織田の勢力域で包囲する。
因幡国を丸ごと孤立させた。

2.兵で包囲

2万の軍勢が約20kmに及ぶ大包囲網を形成し、
鳥取城と丸山城(支城)を孤立させた。
人間はもちろん、犬猫鼠1匹すら通さない。
(当時の文献では蟻一匹通れない、という表現)

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②事前準備

三木城の反省を生かして、入念に準備をした。
その準備とは以下の2つである。

1.米を買占め

秀吉は前年末に因幡国中の米を
相場の2倍で買い占めた。
(食糧となり得る五穀はすべて買い占めた)

城の備蓄米も減らす

Cited from “https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Denshoen10s3872.jpg”.

「今なら高く売れる!」
因幡中の米が秀吉のもとに集まった。

城番たちも備蓄米を売ってしまい、
武器に買い替えてしまったりなど、
城主不在で歯止めが効かなかった。

こうして、鳥取城の兵糧は3ヶ月分となる。

2.口を増やす

鳥取城には兵1500ほどが駐留していた。

城内の人数が増えれば増えるほど、
兵糧攻めは大きな威力を発揮する。

周辺住民で増員

そこで蜂須賀小六などが周辺の村や寺を
焼き払いながら、住民を殺さずに追い回し、
農民や町人を城の中へ追い込んだ。
これらと籠城志願の農民兵、城兵を合わせて、
計4000人ほどが城の中に籠った形になる。

こうして、鳥取城の兵糧は20日分となった。

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援軍の撃退

そもそも鳥取勢はなぜ、籠城したのか?
「毛利援軍」を待つためである。
つまり豊臣勢は「いかに援軍を断つか」が
最大の課題となる。

援軍をブロックするために、
3つのルートを封鎖した。

1.陸路・河川を封鎖

千代川・袋川からのルートは陸路と共に
約20km2万の兵で包囲・遮断してある。

これで周りに複数ある支城からの
補給をブロックした。

2.海路を封鎖

秀吉の弟や藤堂高虎の兵1万が浜に上陸し、
海には300隻以上の船を配置して制海権をとった。

毛利水軍を撃退

包囲が始まるとすぐに
毛利水軍が海から兵糧入れを試みてきたものの、
近づくこともできず撤退していった。

3.陸路を封鎖

海路がダメだったので陸路で
兵糧入れのため進軍してきた。
しかし羽衣石城でブロックして
鳥取城に近寄らせなかった。

鳥取城の完全包囲

丸山城と分断した後、鳥取城を包囲した。

絶望的な状況であるが、
鳥取勢は降伏せず毛利援軍を待ち続けた。

城攻めしたほうが早いのでは?

兵力差は5~10倍とすでに圧倒しており、
野戦であれば楽勝な状態であるが……
城攻めは守備側が3~5倍有利である。
そのうえ秀吉軍は勝ち戦で士気が低いのに対し、
鳥取勢は死にもの狂いで戦ってくる。
秀吉軍の戦死者は数千に及ぶだろう。

織田はアウェー、毛利はホームなのである。
城攻め中に毛利援軍が背後から攻撃してきたら……
籠城側が打って出てきて挟み撃ちされる。
それでも戦上手な秀吉なら勝てそうだが、
その被害は甚大になる。

鳥取城を落とせば終了、ではない。
毛利攻めは始まったばかりであり、
まだまだ西へ西へ進まなくてはならない。
勝った「後」のことを考えなくてはならず、
兵はできる限り、温存したい。

「無傷で勝つ」ことが重要なのである。

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食べた順番

【信長公記より】
3~5日に1度鐘を突くと、それが合図となり、
雑兵が柵際まで出てきて木の葉や草を刈った。
特に稲の切り株は上質な食糧となるが、
これらを取り尽くすと、城内の牛馬を喰った。
弱い者は餓死していった……

①米②動物・草③土壁④人肉……
人肉より土壁の方が先であることから、
その抵抗はとてつもなく大きいとわかる。
最後の最後まで抵抗があるようだが、
いったんタガが外れると、地獄絵図が始まる。

①米(7月)

6月末に包囲された時点で、兵糧は20日分。
数千人でアッという間に喰い尽くしてしまう。

この頃はまだ城内が和やかだったようで、
「知らない」ことは幸せなこと、かもしれない。

②動物・草(8月)

城内には牛や指揮官が乗って戦う馬がいた。
それらや犬猫鼠蛇蛙などの小動物を喰い尽くし、
草木の葉や根も喰い尽くした。

Cited from “oobako4041“.

ここまでは腹を満たすことができたので、
まだ正気を保つことができた。

③壁(9月)

Cited from “Japanese Bamboo reinforced mud wall“.

食べられそうなモノが無くなれば、
次は壁を壊した。
土壁には藁が漉き込んであり、
それを喰ったのである。
畳のイ草、草鞋や鎧の皮にもかじりついた。
もちろん、昆虫も……

とはいえ、
壁をすべて壊してしまうわけにもいかず、
喰ったところで腹は満たされない。
脳に栄養がいかず、正気を保てなくなる。
日中問わず撃ってくる鉄砲や、
突如行われる威嚇偵察で気が休まらない。
城に追い込まれた住民たちは、
骨と皮だけになり、もう限界だった……

この頃から、餓死者が発生し始める。

降伏しなかった

ここで藤堂高虎は丸山城にて
降伏を促す使者を出した。
……が、使者は崖に連れてこられて
首を刎ねられ、胴体は蹴り落とされた。
家臣はまだ戦意を失っていなかったのである。

海では細川忠興(ガラシャの夫)が
毛利水軍を撃退し、兵糧を届けさせない。

吉川経家は頑なに援軍を待つ重臣たちと、
阿鼻叫喚で苦しむ住民・城兵たちとの間で
板挟みになり、とても悩んだだろう。

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④人肉(10月)

【信長公記より】
痩せ衰えた者たちが包囲の柵にすがって
「助けてくれ」「ここから出してくれ」と叫ぶ。
秀吉軍はこれらの者をことごとく鉄砲で撃った。

負傷した者の周りには、飢えた者が群がり、
まだ息があるにもかかわらず、
ナタや小刀で手足をバラし肉を剥がして喰った。

特に頭部は味が良いとみえる。
一つの首を何人もが奪い合い、
取った者は首を抱えて逃げていった。

地獄絵図

柵に向かって飛び出せば、鉄砲で撃たれる。
誰かが撃たれれば、危険を顧みずに飛び出し、
中まで引きずっていった。
1人の負傷者に数十人が群がり、貪り、
アッ!という間に骨だけになった。

辛さに耐えかねて飛び出す者を、
皆が心待ちにし始めた。

頭部の取り合い

肉が痩せ細っても、脳には最期まで栄養が届く。
頭蓋骨をカチ割れば、
中には脳ミソがたっぷり詰まっている。

脂質60%・蛋白質40%の「超」優秀食材で、
絹ごし豆腐の食感、味は白子……
肉よりもはるかに美味だったらしい。

人間が人間の頭にかぶりつき、
脳ミソをすすり、それを奪い合う……
新鮮な頭から脳をすくい取れば、
反射で目がグルグル回り続けるという。

糞まみれに

時期は7~10月と、暑い時期であるから
あらゆるモノがすぐに腐敗する。
汗だくで何ヶ月も風呂に入れず、洗濯もできず、
城内に疫病が流行ってもおかしくない。

10月には城内が糞まみれだったことだろう。
その糞とは、もとは人間なのである。
次は自分が糞にされるか、他人を糞にするか……
喰うか喰われるかの世界である。

人心掌握

いっぽう秀吉軍はどうだったか?

秀吉は遊女を呼んで兵を慰労すると、
陣中にカネが回り始めた。
付近の住人が物を売りに来るようになり、
活気が出て兵の士気が上がった。

鳥取城内で敵が人を喰っている間に、
味方は女を喰っていたのである。
まさに天国と地獄……
このあたりの人心掌握術は、さすが。

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降伏(10月下旬)

  • 10/20 降伏の使者⇒経家が承諾
  • 10/23 秀吉、長い籠城をねぎらう
    経家を助命するも、本人に断られる
  • 10/24 経家が遺書を書く
  • 10/25 経家切腹(35)⇒開城
  • 10/26 秀吉、よかれと思って粥をふるまう
    ショック死続出

切腹まで

秀吉は経家の奮戦を称え、
「責任は山名家の家臣にある」と助命したが……

経家
「自分は切腹するから他の者は助けてほしい」

切腹に固辞

経家は秀吉の提案を頑として受け入れず、
自分の切腹にこだわる。
秀吉は経家を家臣に欲しかったので、
信長に使者を出したほど困った。

信長「経家の好きにさせるがよい」
秀吉は泣く泣く経家を諦め、
経家と家臣2名に切腹を命じた。

経家の首は、自らが持参した首桶に入れられ、
秀吉のもとへ届けられた。
秀吉は男泣きし、信長は首を手厚く葬った。

経家の遺書

切腹に先だって5通の遺書をしたためており、
そのうち3通が現存している。

主君:吉川広家宛には、
「織田と毛利は日本の2つの弓矢といえます」
「その間で切腹するなら、この上ない名誉です」

家臣宛には籠城戦をねぎらう言葉が
つづられていた。

子供たちへ

こども達宛にはヒラガナを多くして
「自分1人の命で皆を助けます」
「これで吉川家の名は上がります」
「この幸せ物語をのちに聞いてほしい」

遺書には脱字があり、餓死寸前だった経家が
ボロボロの状態で書いたことがわかる。
代理で派遣されただけなのに責任をとって切腹し、
名を上げることで「しあわせものがたり」……
35歳にしてはとても立派な人物であり、
現代人の35歳とは大違いである。

あれれ?
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再び、死者続出

経家が命を投げ出してまで助けてくれた命は、
秀吉によって半数以上が死ぬことになる。

死に方には、2つのコースが用意された。

秀吉が粥をふるまう

経家の見事な散り様に感動した秀吉は、
生き残った者たちをも称え、粥を振舞った。
ところが……

飢えていた者たちは粥に群がり、
貪るように、一気に胃に流し込んでしまった。
何ヶ月も消化活動をしていない胃腸に
いきなりモノを放り込んでショック死が続出した。

1.インスリンショック

極度の低血糖状態で、
いきなり大量の糖質(米)を摂取する。
大量の糖を細胞に取り込むため、
大量のインスリンが分泌される。

すると、
血中の糖とイオンが一気に細胞に入っていき、
血中から一気に消失する。
イオンが消えたショックで心臓が止まった。
(心臓は糖で動き、イオンでコントロールされる)

これは安楽死や薬殺での死刑と同じ原理であり、
ラクに死ねた。

2.胃痙攣・腸捻転

長い間動きが止まっていた胃腸に
いきなりモノが放り込まれると、
胃腸が激しく運動したり、痙攣する。

消化・吸収には全エネルギーの1/3を使う。
それが全力で一気に暴れたら……
地獄のような苦しみと痛みが何十分も続く。

とはいえ、助かった者はこの数十分を
乗り越える心と身体を持った者だった。

どうすればよかったか?

断食明けのように、少量を奥歯でよくすり潰して、
時間をかけて、ゆっくり呑み込む。
特に、最初の食事は1時間以上かけたい。

できれば3分⇒5分⇒7分粥と段階的に
日数をかけて米の比率を増やしていきたい。
とはいえ、
人殺しのプロである戦国大名にそんな知識はない。

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鳥取城攻めの背景

鳥取城攻めに至る歴史をざっくり振り返る。
西の毛利、東の織田……
畿内制覇を果たした信長は、西へ進軍した。

そこで戦上手な秀吉が中国征伐を任され、
着実に毛利の領土を奪っていった。
但馬・播磨と制圧し、次は因幡(鳥取)である。

秀吉の3大城攻め

  • 三木の干し殺し
  • 鳥取の飢え殺し
  • 備中高松城の水攻め

鳥取がNo.1

この中でも「最悪の城攻め」と呼ばれるのが
「秀吉+黒田官兵衛」のタッグによる
鳥取の飢え殺し(かつえごろし)である。
(もちろん、大河ドラマではカットされた)

それまでは兵力・兵数に頼るパワーゲームで
勝利はしていたものの、味方の損害も大きかった。
そこで竹中半兵衛・黒田官兵衛の影響から、
味方の損害を減らすべく、
カネと時間と手間をかけて戦うようになる。

鳥取城

標高263mの久松山の頂上に建てられた山城である。
ポツンとある山城であり、守りやすく、
攻めにくい城ではあったが、包囲もしやすかった。

バカ正直に山を登って城攻めしてくる相手ならば
籠城戦で善戦できたであろうが……

鳥取城攻め①

鳥取城主:山名豊国に対し、
秀吉が一回目の兵糧攻めを行う。
城には充分な備蓄があり、
秀吉でも攻めきれなかった。

とはいえ、戦力差は歴然である。
3ヵ月後には豊国が降伏して織田に臣従。
しかし同月、毛利に攻められて毛利に臣従。
織田と毛利でヒヨった。

豊国は織田派、家臣団は毛利派となり城内で対立。
城主:豊国は鳥取城から「追放」された。
鳥取城が毛利勢力に戻ってしまい、
秀吉は再び攻めることにした。

鳥取城攻め②

翌年、城主不在の城にいる毛利派の家臣たちへ、
新たな城主として「吉川経家」が派遣された。
ヘタレ豊国と違って、武勇に優れる経家を
家臣団は大歓迎する……

ここから、鳥取城の飢え殺しがスタートした。

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兵糧攻めのデメリット

  • カネがかかる
  • 手間がかかる
  • 時間がかかる
  • 武功を上げられない
  • 平地の城にはまず無理
  • 同盟国から援軍の脅威
  • 包囲側の油断⇒奇襲で大打撃
  • 長期戦で士気が低下

コスパ最悪

通常の城攻めでは敵の3倍、
兵糧攻めでは10倍の兵数が必要となる。
長期戦になるので経済力も必要。

兵糧攻めはコストパフォーマンス最悪であり、
圧倒的な格下相手でないと実行できない。

兵糧も小判も大量に必要

鳥取城の飢え殺しでは2万の兵で120日包囲した。
1日2食として、4万食/日……
合計で約500万食もの兵糧が秀吉軍に必要だった。
もちろん生米だけを食うわけではないから、
薪や水だって運ばないといけないし、
それなりのオカズだって必要だろう。

兵糧攻め期間には兵の人件費だってかかる。

実際、鳥取城攻めの途中で秀吉軍も
兵糧が尽きてしまい、援軍に届けてもらった。
このときに補給路を断たれていれば、
それなりに苦戦したはず。

また、戦が長期になればなるほど、
兵糧不足は大きな士気の低下を招く。
長期戦ほど、潤沢に用意しなくてはならない。

我慢比べ

通常は半年も籠城していれば、
攻める側が耐え切れずに撤退していく。
(雪や農繁期で帰らざるを得ない)

攻める側とて相手が降伏してくるまで
雨が降って甲冑がムレようが、
背後から援軍に攻められようが、
野宿しながら耐えなくてはいけない。
奇襲された時にやられるから、
甲冑は脱げないし、常に緊張状態である。

攻め込んだ方が早い

兵糧攻めが成立するということは、
城に攻め込めば勝ててしまう相手だ。
(それなりの兵は失うことになるが)

大阪の陣で家康が兵糧攻めを行わなかったのは、
「カネと時間の無駄」と考えたからであろう。

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兵糧攻めのメリット

  • 味方の被害が少ない
  • 敵の街も民も兵も無傷で手に入る
  • 周辺諸国への見せしめ
  • 兵を温存し連戦できる

なぜ兵糧攻めをやる?

兵糧攻めは「勝つため」にやるのではない。
(やる前から勝利が決まっている相手)

倒した「後」のことを考えている。

勝った後は自分の領地

敵を倒した「後」は自分の領地となり、
相手の城兵は自分の兵になる。
街や田畑を破壊すればするほど、
兵を殺せば殺すほど、後で損をする。

破壊した分は造り直さねばならないから
莫大なカネも手間も時間もかかる。
長い目で考えれば、
最初から破壊しない戦をした方が
カネも手間も時間も少なくて済む。

全盛期の織田軍

  • ダントツの存在
  • 本国が手薄にならない
  • 農民兵でなく、プロの兵

全盛期の織田軍……特に秀吉や光秀は
兵糧攻めを好んで用いた。

兵農分離

信長は豊富な資金力を生かして、
兵と農民を分け終えていた。
プロの兵であれば農民兵より強い……

だが、メリットはそれだけではない。

一年中戦える

他の大名軍は半農半兵であり、畑仕事があるため
農閑期にしか戦に参加できなかった。
農繁期には帰らないといけない。

いっぽう織田軍は一年中戦える……
あえて農繁期に戦いを挑むことで、
相手は少ない兵士しか用意できず有利である。

織田軍と戦う国の兵は農繁期にも駆り出される。
織田の領地になれば農繁期に農業に集中でき、
農閑期にも戦に駆り出されなくて済む……
それは土地を支配する国人にとっても同様である。
と、いうわけで織田への寝返りが続出した。

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自給自足はどうか?

城の中で自給自足できれば何年でも耐えられる。

しかし平野部に大規模な城を造らないと、
時間も水もないから無理である。

スペースがない

兵糧攻めのターゲットになりやすいのは
囲みやすい山城である。
山の斜面なので田畑を作るスペースがない。
(そんなスペースがあれば敵が利用して不利に)

数千人が籠城しているので、
自給自足するには膨大な広さの田畑が必要になる。

時間がない

種まき⇒収穫まで3ヶ月かかる。
兵糧攻めが始まってから種を撒いて収穫……
食べる頃には勝敗がついている。

頑張ってもせいぜい家庭菜園レベルで、
全員には行き渡らず、その場しのぎでしかない。

水がない

食糧があっても水がなければ生きていけない。
1人で1日1.5リットルは必要である。

お堀に水を誘導する水路があるとはいえ、
何千人もの人間を養う命の水を、
作物にまで与える余裕はないだろう。

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兵糧攻めに強い城

上杉謙信の軍10万を跳ね返した小田原城、
信長が10年かけても落とせなかった石山本願寺、
兵糧攻めで死にかけた清正の熊本城を紹介する。

小田原城

武田信玄や上杉謙信の大軍に包囲されても
籠城戦で撃退した。
膨大な海岸線には北条水軍がおり、
海から援軍と補給ができた。
いっぽう、武田・上杉は陸軍のみである。

武田は周りが強敵だらけなので長居できない。
本国が手薄になり、攻め込まれてしまう。
上杉は雪が降る前に帰らないと
自分が帰れなくなり、国を失うことになる。
3ヶ月以上粘るのは、大変危険である。

北条「何年でも籠城してやるw」
上杉「もうマイッチング」

秀吉が心理戦で落城

城郭のさらに外に街を造り、近くに城を造った。
20万以上の兵が延々と駐留する体勢を見せつけた。
海岸線と沖合は大量の水軍でブロックし、
北条の水軍程度には手も足も出せない。

秀吉「何十年でも包囲してやるw」
北条「これほどまでとは……」
さすがの北条も心が折れ、3ヶ月で降伏した。

石山本願寺

後の大阪城である。
寺の中に5万石の生産力を整備し、
自給自足体制を持っていた。
さらに水路が豊富なので水に困らず、
水運で毛利援軍から補給も得た。

全盛期の織田信長が兵糧攻めを仕掛けても、
10年かけて攻撃しても、引き分けだった。

熊本城

Cited from “Kumamoto cstl airscapeTarou Nagoya“.

熊本城主「加藤清正」は兵糧攻めに縁が深い。
鳥取の飢え殺しが初陣であり、
朝鮮戦争で兵糧攻めをされ死にそうになったので
いろいろな工夫をしている。

  • 米を買い込んでおく
  • 農作物を早めに収穫
  • 土壁に芋の蔓を漉き込む
  • 畳は食べられる草で作る
  • 食用になる草木を城内に植える
  • 郭に松(実や内皮も食用に)
  • 池に蓮(実も根も食用になる)
  • 池に鯉を飼う
  • 多数の井戸を掘っておく
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鳥取城の2城主

あっさり織田に寝返った山名豊国、
ひらすら援軍を待っていただけの吉川経家。
正解は、山名豊国の選択だった。
なぜか?
援軍に圧倒的な差がある。

城を囲む秀吉軍は2万……それに対し、
毛利援軍はその気になれば4万は出せた。
しかし、
中国の雄「毛利元就」は10年前に死去している。
なんとなく後を継いだだけの輝元が指揮をとり、
結局、援軍は近づくことすらできなかった。

山名豊国(32)

飢え殺しの1年前に秀吉から兵糧攻めを受けている。
充分な備蓄があったので、3ヶ月耐えた後、
秀吉に降伏した。

もともと武力で毛利に恭順させられた立場なので
織田側にあっさり寝返る。
ところが家臣団は徹底抗戦を主張しており、
城主は1人、鳥取城から追放された。

飢え殺しに参加

そのあと豊国は鳥取城攻めに秀吉側で参戦し、
死後は家康に従い、江戸時代まで生き延びた。
筒井順慶顔負けの日和見主義というか、
世渡り上手というべきか……

カッコ悪いのでヘタレ扱いされがちであるが、
彼の言う通り、さっさと織田に恭順していれば
地獄絵図は起こらなかったであろう。

吉川経家(35)

吉川家の中でも武勇・人物ともに優れていた。
城主不在の鳥取城に代理城主として派遣される。

城内の惨状を目の当たりにするも、
毛利家・吉川家への責任とで板挟みになり苦しむ。
吉川家のメンツと敗戦の責任を感じ、
助命されたものの、切腹した。

戦場で散るべき男

自分の命を引き換えに殿様が民を救った……
鳥取では美談として伝えられるものの、
ここまで長引かせたのは山名家の重臣である。

経家の責任ではない以上、秀吉の助命に従い、
切腹せず他の戦場で散った方がよかったのでは?

かつ江さん

鳥取の飢え殺し(かつえ殺し)を
モチーフにしたゆるキャラがいる。

鳥取市役所の公式サイトで公開されると、
苦情が殺到して3日で公開中止となった。
……が、インパクトがあり人気を博した。

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餓死の目安

水アリだと5週、水ナシだと5日が目安。

食糧よりも、水の方がはるかに重要である。
(水はお堀などで手に入りやすい)

1日に必要な水は2リットル。

食事中に0.5リットル含まれるので、
「1.5リットルの水」を飲む必要がある。

水を飲まないと……

1日4%の水分が尿や汗、蒸発で失われる。
体重50kgなら、毎日2Lが失われる。

体内の20%が消失すると、死亡。
体重50kgなら10L失えばアウト。

10L失うと……

脱水により体温調節ができなくなり、
体温がどんどん上昇していく。

水分不足で血液がドロドロになっていき、
尿で老廃物を排出できなくなり、
全身の機能が壊れる。

食事

  • 1日に必要なエネルギー 1500kcal
  • 体内の脂肪 8kg(60000kcal)
    60000/1500=30日分の備蓄

何も食べなくとも30日分の備蓄エネルギーがある。

筋肉中には2日分のグリコーゲンがあるのと、
飢餓状態だと省エネモードになるので、
30日より少し長く生きることができる。

とはいえ、30日を超えれば危険信号となる。

なぜお腹が出るのか?

飢餓状態の者は骨と皮だけなのに、
なぜかお腹だけポッコリ出ている。

タンパク質が極端に不足すると、
血液から水分が染み出し「腹水」が溜まる。
また肝臓から脂肪を運び出せなくなり、
脂肪肝となって肥大し続ける。

そして、お腹だけが異常に膨らんでいく。

まとめ

この記事は過去を語っているのではなく、
実は未来を語っている。
「鳥取の飢え殺し」は未来の地球である。
ここ100年の人口爆発は異常だからだ。

このまま人口爆発が進んでいくのに、
飽食の時代が続く方がおかしい。

気候だって、最近はおかしい。
ゲリラ豪雨に洪水、猛暑に渇水……
どれも子供の頃はめったになかったことだが、
最近は毎年の恒例行事である。

そのうち毎月何か起こるんじゃなかろうか。
世界的な気候変動による世界的な不作で、
いつかは終わりのない飢饉が訪れることだろう。

そうなった時に参考になるのが、
「鳥取の飢え殺し」である。
極限の空腹まで追い込まれたら、
どうなるのかを知っておいたほうがいい。
最後の食糧は「人間」だということを。

家畜を工業製品の如く生産、大量に虐殺し、
命があったとは思えない姿でパック詰めして陳列。
消費できない分は、大量に廃棄……
その報いは、いつか訪れるだろう。

とはいえ、
ヒトザルという動物は2050年に90億匹、
2100年に100億匹にまで増える見込みである。
しばらくの間、食糧には困らなさそうだ。



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